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11.分科会
Aグループ(聖書講堂)
司会 土屋 聡
*発言者の氏名はプライバシー保護の観点から、イニシアルとさせていただきました。
*講演者と準備委員の氏名は、そのまま記させていただきました。 *司会者の氏名も上記にそのまま記させていただきました。 *録音音声の不具合のため聞き取れない箇所があり、省略や要約を余儀なくされた箇所があります。 ご了承ください。 司会「この分科会では、自己紹介はなしとさせていただきます。先ず私から聖書の言葉を一つ引用させていただきます。コリントⅡ13:8「わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力がある。」(口語訳)この言葉を独立学園の鈴木校長から耳にタコができるほど聞かされました。いろいろな話を聞きながら、そのことを思い出しました。」 安達「元自衛官でした。鈴木校長からキリスト教を、伊藤邦幸先生から哲学(自分の心を内省することこそ哲学という基本)を教わりました。」 I「難しかったのでもう一度勉強しなおしたいと思っています。」 H「最も心に残ったのは、福嶋先生がアンブロシウスの言葉「高利とは与える以上に受け取ることだ」を引いて高利貸を資本主義の先駆者とみなしたことです。また、それと関連して、私はカトリックなのですが、煉獄(カトリックだけに存在する概念)が後世の資本主義の道を備えることになったという先生の指摘も私には衝撃的でした。また福島先生の言われた純粋贈与が神の愛だとおっしゃったことに対して、中村先生が神の応答としての真(エメト)も純粋贈与であるとおっしゃられた。そのことも心に響きました。」 K「なぜ参加したかと言いますと破局という言葉に惹かれたからです。自分がキリスト者になったのは、破局の中の希望をキリストのうちに見出したからです。聖書講話の中の真理という言葉が心に残りました。あなたは何を真理として生きているのかと問われたときに、自分はやはりキリストを真理としてそこに立って生きていくほかないと、改めて思わされました。」 H「一番心に残りましたのは、中村先生が、『イエスはすでにイエスを信じている者に対して真理とは何かと問うた』という指摘です。この言葉は私に向けられたかのようで、私は真理をピラトのように解していたと思います。では真理(エメトとしての真理)は何なのか。まだ消化しきれていないのでもう一度講話を振り返ってみたいと思います。それから、今日の音楽の時間も礼拝と言ってよいほど素晴らしく感動いたしました。」 T「今回はロシアの思想や作品がたくさん紹介されまして、讃美歌「われ聞けりかなたには」もロシアの曲で、ロシアというのは暗いものだと思っておりましたが、そこにも大きな希望があるのだということを知らされました。」 鷲見(誠一)「安達さんがウクライナの問題をロシア側から見ておられて、西欧側からの見方と全然違うことに驚かされました。思えば、下斗米信夫というロシア研究の第一人者と言われる人も同じようなことを書いておられました。これは、一度西欧の見方を疑ってかからなければと思わされましたが、いかなる理由があろうとも、軍隊を使って異国の領土を占領するという行為だけは、正しいとは認められないと思います。それなのに国連の常任理事国がそういうことをやるというのは、まったくおかしい。常任理事国は世界の国々の模範となるべきなのに。」 S「一昨年は近藤恵さんがお話をされ、今年はその息子さんの風人君がお話をし、そして客席には、風人君のおじいちゃんとおばあちゃんが聞きに来ている。無教会の信仰が継承されているのを目の当たりにして、うれしく思いました。また音楽の時間においては、音楽賛美は祈りであるという素晴らしいメッセージと共に音楽礼拝がなされ、この講堂の音響が本当によく活かされました。土屋さんは『季刊無教会』でも編集委員の一人として雑誌のウェブ化に貢献してくださり、感謝です。」(付記:ちなみに土屋さんご一家においても無教会の信仰が三代にわたって継承されています。) 中村「講話をいたしましたので、一つだけ。全国集会には、高校生が希望を持てるような会になってほしい。今の高校生たちには本当に信頼できる生き方や言葉を発信してくれる人との触れ合いがない。そのような触れ合いを持てる場にしてほしい。世代の若返りも図られていますし、音楽礼拝などの試みもなされています。この調子で全国集会を若者の集える場にしてください。」 Se「私は会社に入って問題にぶつかって初めて無教会に参加しました。そこで矢内原先生が言っていたことはあまり神学にのめりこむな、実生活で悩みとぶち当たったところで神の方を向けと言っていました。全国集会はそういうところだと思います。それぞれの職場でぶち当たった悩みを全国集会に来て別のレベルで見つめなおしてみる。これが全国集会の意義だと思います。講話ももう少し、実生活の体験を加えてほしかった。」 Tte「孫の風人が『私はクリスチャンとしてこう考えております』と言いました。これは皆さんの前で信仰告白をしたようなもので、私は非常にうれしく思っております。無教会は種を蒔いて、蒔きっぱなし。管理をしないから、みんなどこかへ行ってしまう。しっかり育てなくては。」 Tto「息子の恵は、原発事故で被災し、大変な苦労をいたしましたが、その苦労のおかげで、孫の風人にも信仰が受け継がれていきました。本当に感謝です。最近オンラインの集会が増えていますが、今回久しぶりに対面の集会に来て、やはり対面でなければ人格と人格の触れ合いはないのだなあと実感いたしました。」 司会「中村先生の講話はよく理解できました。ピラトは頭で真理を捉えようとしていた。対してイエス様の真理は、出会いとか関係性のことなのだと理解しました。パウロは復活のイエスに出会って、全価値観が一変しました。そのような、全存在をかけた出会いが真理なのかと受け取りました。僕は読書が苦手なので、ドストエフスキーの本を読破できたためしがないのですが、今回の千葉 雄さんのお話のおかげでドストエフスキーのことがよくわかりました。感謝です。」 Tm「私も対面の集会の重要さを感じました。また政池 仁先生は、福音と預言は両輪であると言っていた。今回の集会は、そのようになっていたと思います。今は資本主義の行き詰まりがあって、本当に破局に向かっているような時代です。しかし福嶋さんのお話を聞いて希望が見えてきたような気がしました。近藤さんのお話からは現地の人の苦しみが伝わってくるようでした。」 Y「安達さんの話は私がいつも考えていることと同じなので驚きました。また中村先生のお話もそうでした。私は真理というよりは義という言葉で考えてきました。義も客観的正義ではなくて関係的概念です。終末には神の支配の完成、死と罪の克服がなされるのですが、キリストの救いはその完成への道を開いた。キリストを信じる者は神と義の関係に入るのであり、神の支配に入ります。だから私たちはいつも喜んでいなければならない。信仰を与えられたということが神から義とされたということなのですから。」 O「土屋真穂さんとの音楽の関係で参加させていただいています。木岡英三郎という音楽家の資料館を運営しております。木岡という人は、日本に初めてオルガンを導入した方です。独立学園に鈴木校長がオルガンを設置したときも、木岡がかなり手伝ったという資料が残っております。土屋さんの12月の音楽会もうちの資料館で開催する予定です。今日の話では、真理とは自分のいただいた一言にとどまることだというところがとても心に残りました。昨日も賛美をしていて同じような体験をしました。」 K「今回初めて参加しました。私も中村先生の話が心に残りました。真理というのは関係概念である、その人を信頼できる、その人なら絶対に裏切られない、その人にはすべてを託すことができる、そのような信頼感を持てるという感覚が真理(エメト)であるという話、いろいろな示唆を与えられました。私は『今井無教会ニュース』の編集に携わっておりまして、それを通じていろいろな集会の在り方に興味を持ってまいりました。無教会の特徴は、勉強会だと思っております。これも一つの伝道方法だと思います。こういういろいろな会の活動を『今井館ニュース』を通じて広めていきたいと思っております。」 M「小林孝𠮷さんの大学の後輩です。禅の修行を長年しています。分断の中で最もたちが悪いのが、宗教的分断だと思います。私は本質的に、仏教もキリスト教も同じだと思っています。そういうところを探りたくて、無教会の集会に来てみました。」 Su「聖書講話でイエスとピラトの対話がまざまざと描き出され、深く心に刻まれました。また、信じることに問や疑問も答えもいらないのだという話も心に残りました。私は命について悩んでいた時に、どう祈ればよいかずいぶん悩んだことがありました。しかし、最後にはイエス様にみんな預ければいいのだと思いました。その体験を思い出し、深く心に刻まれました。」 小舘「福嶋先生の話は、人類の歴史は破局に向かっているという話で、私も全くそれに同意いたします。資本主義の歩みは止めようがなく、破局に向かって突き進むほかない。ところが驚くべきことに、ほとんどの人がこの認識を共有していません。うすうす気づいていながら敢えて無視しているのか、それとも何も気づかないほど鈍感なのか。破局が差し迫っているのだということを、共有していくことがまず何よりも重要なのではないでしょうか。」 Mo「私は人が何と言おうと神様はいると思っており、聖書には神の言葉が書かれていると思っています。ですから、何があろうと、聖書を読み直すと、頭の中がきちんと整理されます。」 Se「『季刊無教会』の編集をしていて、いつもいろいろと苦労しているのですが、そのような中にあって土屋真穂さんや愛真高校出身のOdさんなど若い方が手伝ってくれています。そして今回の若い人たちの話を聞きながら、無教会には岩盤支持層のような若者が育ちつつあるのだなあと思わされました。独立学園、愛真高校、愛農学園などの学校には、本当に感謝しつつ、これからもそういう若者を育て続けてほしいと思っております。」 中村「しかし、独立学園は、無教会の信徒を育てるための学校ではありません。学園が何かの方向に学生を誘導していくようではまずいと思うのです。やはり学生にはそれぞれで真実だと思われるものを見つけていってほしい。」 Se「いやそういうことを私も言いたかったのです。独立学園のそういう方向が自ずから、無教会へのシンパを生む。私はそこに期待しているのです。」 中村「むしろ私は全国集会の方にそれを期待しています。全国集会も何かの方向へ誘導するのではなく、本当に真実が語られ、学園生たちがあそこに行けば真実が見つけられると思えるような場にしていただきたい。今回の全国集会はすでにそういう方向を向いていました。今後ももっとそういう開かれた場にしていっていただきたい。」 Se「ついでに言わせていただくなら、独立、愛真、愛農の卒業生たちはたいてい頭でっかちではない、地に足の着いた現実的な知性の持ち主です。こういう教育は今や希少であり、とても重要です。この点でも三校に期待してしまうのです。」 司会「私は独立出身ですが、同級生25人のうち、信仰を持っている者は5人程度です。そして信仰を持てるかどうかは神様次第であって人間にはどうすることもできない。しかし、私は独立学園のある先生があまりに素晴らしい信仰者だったので、自分もあの先生のような信仰が持ちたいと願っていました。するとある日与えられたのです。そう意味での信仰への導きはできると思います。また、独立でよかったのは、自分の意見をみんなの前で話す機会が繰り返し与えられたことです。このことを通じて、自分の本音を見つめ、真実を見出そうとしていく。こう言うことの繰り返しが、信仰へとつながっていくのだと思います。」 Ha「やはり、今回のテーマである破局に集中して話をしていきたい。まさに世界はどこからどう見ても破局に向かっています。こういう中でいったいどういう希望を持つことができるのか。このあたりの意見をもっと語ってほしいと思います。」 司会「最近なぜ太平洋戦争は起こったかという本を読みました。そこに書かれていたことは、世論操作の力の大きさでした。政府や大企業やマスコミが偽の情報で世論を操作して瞬く間に国民を変えてしまった。日本をやっつけなければだめだと。そしてなぜそうしたのかと言うと全く金儲けのためです。福嶋先生のお話にあったように、マモンに支配されてのことです。キリストの愛はそれとは全く逆の境地、贈与の境地です。別に大きな贈与はできなくとも、自分にできる範囲で小さな贈与の手を差し伸べていく。これが波動となって人を動かしていく。ここに希望があるのではないでしょうか。」 K「クリスチャンになると暗い世界が明るく見えてくるというのではなくて、暗い中にもまだ何かがあるとあきらめない心を持つことができる。ここに希望があるのではないでしょうか。 また、そのようなクリスチャンは自分だけではない。他にもいるのだと確かめることができるのも希望です。ですからこうした集会で皆さんと対面で出会えたのは本当に希望です。まさに神の国です。もう一つ。無教会は無境界であるという言葉を聞いたことがあります。キリストはまさしく分け隔てる壁を壊した人でした。ところが今では世界中に分断の壁ができようとしています。この壁を壊せるのはいったい誰でしょうか。もちろんキリストですが、無教会はそういうキリストにつながっている人たちだと思います。つまり無教会が無境界であり続けることが三つ目の希望です。」 Y「キューバ危機でも、核兵器を打ち合うということで、破局寸前までいっていました。破局が迫っているというのは今に始まったことではありません。現代において問題なのは、AIやSNSの登場によってかえって人の交流が深まるどころか、それに依存することで実際の人との交流がなくなり、孤独が増えてしまったこと、そして孤独死が増えてしまったことです。そういう中で希望はやはり終末にしかないと思う。終末は神の支配が行き渡ることであり、言い換えればそれは新しい宇宙の創造です。私たちはその新しい創造がすでに始まったことを知らされています。 だからもっと喜ぶべきなのです。内村もそのような希望を持っていました。」 H「私はカトリックなのですが、カトリックでは、教義が完全に決まっていてそれと異なることを言うことは許されません。ところが無教会のこの場では、自由に何でも言うことができる。例えば、カトリックの煉獄という発想が、この世の富も欲しいし、あの世での救いも欲しいという高利貸の貪欲から生み出されたということはカトリックでは絶対に言えないことです。そういうカトリックとは全く異なる見方に触れられたことに本当に感謝しています。」 Ka「キリスト教年鑑が毎年発行されていて、そこで無教会をどう紹介するかがいつも問題となっており、今回その紹介の文言を今井館の関係者で話し合って決めました。今の話と関係がありそうなのでその紹介文を伝えさせていただきます。 ①制度や組織や教義に縛られない。 ②職業的指導者を持たない。 ③決まった会堂を持たない。 ④聖書を重んじ、信仰的態度と理性的態度の両方をもって聖書を読む。」 O「私はアドベンティストで、アドベンティストはよく再臨信徒と呼ばれるのですが、終末を待望しているとよく誤解されてしまいます。そうではなくて私たちの中心教義は、再臨に対して絶えず備えておくということです。明日再臨が来てもいいように今日なすべきことをするのです。この教義自体は良いと思いますが、世界的組織になりますと、やはりいろいろな問題を抱えるようになってきます。指導者に役が付いたり、報酬がついたりすると、普通の資本主義企業と同じようになってきますし、互いに裁きあうようになってしまう。賛美も組織でやると演奏会のようになってしまい、祈りの要素が薄れてしまう。その点無教会にはそうしたことがないので、現在魅かれている部分もあります。やはり本当の教会というのは、対面で少人数の者が集まり、祈り合い、賛美し合い、証を述べ合うというものなのではないでしょうか。」 司会「少し話題を変えます。僕はシュノーケリングが好きでよく海に潜るのですが、最近千葉の海にサンゴ礁ができているのです。また菜園が趣味なのですが、暑すぎてトマトが育たないのです。自然環境からも、破局は目に見えて迫ってきています。」 小舘「確かに破局は迫っていて資本主義は止められないでしょう。他方、それを防ぐためにやれることはたくさんあると思います。そちらの方に目を向けることも重要でしょう。お金にできるだけ縛られない生活をする方法はいくらでもあります。お金をできるだけ使わないで野菜を作っていくこともできますし、金もうけに縛られない人間関係を広げて助け合うこともできますし。もう破局だって投げやりになっちゃうのも駄目だし、破局なんか来ないと楽観的になるのも駄目だと思います。破局が来るのを認識しつつも、それを防ぐために自分に出来るはずをやっていく。(付記:まさに先ほどOさんが述べたように、明日再臨が来ると思って今日できることやる。)その方法を各自で模索していくことが大切なのだと思います。」 O「聖書講話から真理というものは、何かを判断する基準のようなものではなくて、自分の生き方そのものだということを学びました。神を受け入れれば、そこで真理になる。その瞬間はいつ訪れるかはわからない。外側から見たら別に大事件ではないかもしれない。しかしそれが大きな違いを生みます。だから、必要なのは種を蒔くことであり、種を蒔く場があることだと思います。」 Y「実家は農家です。昭和30年代から、日本人の食生活が変わってきた。小麦、乳製品、植物油、砂糖、お菓子が増えてきた。その結果癌とかアトピーとか今までにないような病気が出てきた。それで私は米、味噌汁、魚、野菜だけで生きることにしました。それで健康になった。だから米を食べることも希望の一つです。」 ![]() |