あとがき


 分科会Bグループの報告の中で、小林孝𠮷氏が「破局と終末は別。終末=救済です」ということを言われておられます。終末とは時間的な終りの時のことであり、未来のことですが、これに対して、過去と未来のすべてを「永遠の今」に包摂する考えもあります。終末を考えるだけでも、多様な理解が存在しているのですが、小林氏の言われる通りに、終末は救済論(救い)と密接な関係を持っております。終わりの時に救いを見るか、現在を「永遠の今」と見て現在に始めと終わりの救いをも包摂して捉えるか、様々です。
 今回のテーマは「真理への道――破局の中の希望」です。この題名からは、単に終末を見据えるというよりも、破局と救いの関係が問われているのであり、破局ということが時の終わりも思わせることもあり、将来に救いを見る考え(信仰)、現在に救いを見る考え(信仰)、とさまざま豊かな話が、登壇者によって展開されました。
 しかし終わりの時にのみ「救い」を見る見方は、救済論としてはあるべきではないものと言えましょう。なぜならば、時間的理解においても、現在から終わりの時までの間が救われないままでいる、ということはあってはならない、と考えるからです。
 ですから、現在只今の救いは、決定的に大切です。そのような視点で、私は各登壇者のお話を聞かせて頂きました。
 福嶋揚さんは主題講演で、「『終末』とはそのような破滅からの再生、死からの復活にも譬えうる『終わりのなかの始まり』」とモルトマンの言葉を挙げて語られておられるとおり、救済を歴史的時間論として見ておられました。しかし贈与論を語られつつ、「純粋贈与」を示されて、それは「私たちの努力とは何ら関係がなく与えられている」と言われ、現在における魂の救済も示されました。中村頌さんは聖書講話で、「『神の国』は、『来りつつあるもの』として、今ここ『あなたがたのただなかにある』という側面と、『はるかにのぞみ見る』という側面とがあります。私はこの講話において、真理(=神の国)を前者にアクセントをおいて話をすることになります。私たちにとって今まさにここにおいて問題になるものとして、真理を捉えたいのです」と言われ、現在只今における救いを主眼として語られ、「最後に、イエスが私たちの生きるこの世界のただなかに宿ってくださり、『一粒の麦』として地に落ちて死なれたことを、改めて思い返します。私たちの内にすでに種が蒔かれていることを覚えつつ、その種が豊かに育ちゆくときを待つ者でありたいと思います」という言葉で講話を終えられました。小林孝𠮷さんは、再臨に関して「そこには現在的終末(救済)論と未来的終末(救済)論が重なり合いつつ、過去・現在・未来をつらぬく万民救済の風景=インマヌエルの風景、生命の水の河の辺の光景が広がっているのです。ここには、二重の救済的・終末論的時間が、相互の矛盾的時制(テンス)となって、一方は過去へ、 一方は未来へと流れているのです。それは、太初の言(ことば)は終末(おわり)の言でもあるのです」と言われており、未来的終末を見据えながらも現在的終末を見ておられることがわかります。
 このように、登壇者がそれぞれ豊かに多様な「破滅の中の希望」をお語り下さったことは感謝すべきことでした。今回は、発題も含め、一つの見方に固定されない、自由な発言がなされ、誠に豊かな全国集会であり、無教会のこの先の可能性を知ることができました。
 私個人としましては、中村頌さんが語られた「すでに種が蒔かれている」という現在的救済を大切にしております。そしてそのことは、土屋真穂さんが『音楽の時間』で語られた、「生や死を通して、私たちは信仰が深められており、特に死については、神を信じていても信じていなくても神様の愛の中で救われるということ」につながると思っております。むしろ生や死の時のみではなく、人が地上で生きている全ての時において、人は神を信じていても信じていなくても神様の愛の中で救われている、ということを信じています。
 ところで、上村篤子さんのヴァイオリンと土屋真穂さんのオルガンによる「音楽の時間」は、白眉でした。ここにはお二方の中に「すでに蒔かれている種」を深く感じました。「存在で語らんとしたイエス」(中村頌・聖書講話より)と同質のものを、言葉を語らず音楽で語らんとしたお二人の演奏とパフォーマンスに感じ、音楽の可能性を教わりました。
 この度の全国集会を通して、無教会が、時の流れを経て、多様な信仰理解を持ち始めていることを思わされ、感謝しました。
 しかし全国集会の役割としては、独立学園の教頭先生である中村頌さんの、分科会での次の言葉が、今後の課題として、深く心に刻まれました。

 「全国集会には、高校生が希望を持てるような会になってほしい。 今の高校生たちには本当に信頼できる生き方や言葉を発信してくれる人との触れ合いがない。 そのような触れ合いを持てる場にしてほしい。」

 若い方々の生き方の責任を担う無教会全国集会でありたい、と祈り願っています。
参加者、登壇者の皆様に、心より感謝申し上げます。

無教会全国集会準備委員会
事務局長 荒井 克浩