14.全国集会 賛美報告 奏楽 土屋 真穂
プロフィール
![]() 独立学園の旧パイプオルガンがある 長野県松本市中村邸(蔵)にて 賛美は祈り 「歌うことは二度祈ること」(聖アウグスティヌス)という言葉がある。賛美するということは、美しい旋律やハーモニーを人間の声という楽器を通して空間に響かせるだけでなく、そこで歌われる言葉(御言葉や祈り)が何よりも重要である。歌うことで、言葉が繰り返し心に刻み込まれ、歌う人、聞く人の心の深い部分に届き、時に励まされ、勇気づけられ、癒され、慰めされ、希望が与えられる。賛美は祈りであり、礼拝において御言葉と車の両輪ともいえる。 今年のテーマ「ほんとうの平和」が決まり、準備委員会ではプログラムの中で歌う賛美歌の選曲を行った。「平和」というキーワードをもとに作られた賛美歌は多数存在するが、参加者が歌った事のある親しみある賛美歌を取り入れることや、たとえ初めて歌う賛美歌であっても、旋律を聞いて練習をすれば、すぐに歌えるような曲であることを考慮した。いくつかの候補曲をあげて準備委員会の中で実際に歌って選曲を行い、賛美を通してテーマを心に留め、全国集会での経験がより深いものとなることを願い準備を進めていった。 開会礼拝では、冒頭に讃美歌90番「ここも神の御国なれば」を賛美し、終わりに531番「こころの緒琴に」を賛美した。「ここも神の御国なれば」(原題:This is my Father’s world)を選んだのは、無教会全国集会が行われた今井館という場が、神の御国として、神の民として呼び集められた者同士が交わり、過ごす場になればという思いで選曲した。心を一つにした賛美の声が今井館聖書講堂いっぱいに響き、1日のプログラムが始まった。 ピーター・ビルホーン作詞作曲の「こころの緒琴に」は、彼が悲惨な列車事故に遭遇して多くの乗客が流血を伴い亡くなる中、私たちの罪の贖いであるキリストの血を思い出し、列車に乗ったままの状況で書いた曲である。Refrainの「ああ、平和よ、くしき平和よ、み神のたまえる、くしき平和よ」という箇所の原詞は「Peace, peace, sweet peace, Wonderful gift from above, Oh ,wonderful, wonderful peace, Sweet peace, the gift of God’s love.」である。平穏とは全くの対極である生死と隣り合わせの状況で書かれた詩と旋律であることを知ると、曲の見え方が変わってくる。ウクライナとロシアの戦争、イスラエルとガザを始めとする中東の紛争、その他、貧困・差別・気候変動・災害等、決して平和とは言えない状況にさえ神様からの贈り物であるwonderful peaceが宿っている。参加者は月本昭男氏の聖書講話を心に留め、それぞれが抱く〈平和〉を思い浮かべながら、「こころの緒琴に」を賛美した。 新しい歌を主に向かって歌え 主題講演では、講演者である榎本空氏が選んだ、武義和作曲「神のなさることは」(武義和作品集『主はわたしのうた』収録,Folke Music,2014)を共に賛美した。この曲は、榎本氏の祖母(榎本和子氏)が天に召された時に葬儀で歌ったという思い入れのある曲であると伺っている。 歌詞は、「神のなさることは 全て時にかなって美しい」(コヘレト3:11 口語訳)という有名な聖句であり、多くの人が人生の中で様々な思いを持って反芻している言葉であることは間違いない。8分の6拍子とホ長調が織りなす柔らかさで、「神のなさることは 全て時にかなって」と歌い、3拍の休符の後にmp(少し弱く)からクレシェンドがかかりながら「美しい」という言葉が続く。この休符とmpが、この曲における最大のポイントである。私個人として2通りの解釈があると考えた。1つは、神様の言葉は細く静かな声であるから、自分の思いが強い時には神様の業に気がつくことができないので、自分の声や思いを静かにして、神様の声を聞き、そこで恵みの業に気が付けるという見方である。もう1つは、神のなさる業は人間の心の計画や想いを遥かに超えており(イザヤ55:8-9)、時には喜ばしいものではない、受け入れ難い出来事も数多く私たちに襲いかかってくる。それらを〈神の計画であり、恵みである〉と言うのは決して易しいことではない。それにもかかわらず〈美しい〉と言うことができる心が与えられているのが、キリスト者の確信を伴った希望であり、光であるのではないかと考えた。榎本空氏が講演で語られた、伊江島が持つ忘れられない痛みの歴史と記憶を心に抱き、時間としては一瞬の休符ではあるが、meditation(黙想)し、とても優しく心がこもった〈美しい〉という言葉を会場の皆さんが歌っておられるのを肌で感じた。Zoomで参加して下さった方も、同じように心を込めて歌って下さっただろう。 賛美にも多様性を 特別講演の後、発題の時間の前に『讃美歌21』196番「主のうちにこそ」を賛美した。1954年版『讃美歌』では英米賛美が多くを占めていたが、1997年に出版された『讃美歌21』では、グレゴリオ聖歌、ジュネーブ詩編歌、テゼ共同体、モサラベ聖歌、ドイツコラール、世界各国の賛美、各民族の賛美、現代作曲家による賛美など多様性に富んだ賛美が収録されている。今回のテーマの背景として、人種・貧困・差別・教育という具体的なテーマが上がる中で、これまで歌い継がれてきた賛美だけではなく、民族や人種を越えた賛美を歌うことで信仰を共にするという目的で『讃美歌21』から1曲を選曲した。 讃美歌21-196番「主のうちにこそ」は、韓国の牧師パク・ソンムン作詞、オ・ソウン作曲で、旋律は韓国の伝統的なリズムである。「主のうちにこそ喜びあり 平和求めて 主に生きよう」主イエスこそ、確かな希望であり、命であり、救いであることを歌っている。玄香実氏の在日コリアンの方々が置かれている現状を熱い想いで語られた後に、共に賛美した。時間の都合上、全ての節を歌うことは叶わなかったが、ぜひ各集会や個人でも歌って欲しいと願う。 口に賛美を携えて 閉会礼拝では、讃美歌494番「わが行くみち いついかに」と405番「かみともにいまして」を賛美した。無教会全国集会という暫しの温かい交わりの集いから、現代社会という荒波へと出ていくとき、全て主が道を備えて下さっていることを心に留めて頂きたく選曲した。494番では、「そなえたもう 主のみちを ふみてゆかん ひとすじに」というRefrainの歌詞が、胸に熱い思いを携えた賛美の声が聖書講堂いっぱいに響いていた。賛美は、一人で歌うことも可能だが、誰かと共に歌うという共同性を伴う体験をする時に、そのエネルギーは増し加えられる。口に賛美を携えて、また会う日まで、神様の守りと導きの中で歩まれることを祈っている。 (注)文中における「賛美/賛美歌」とは広義における神に向けた賛美、「讃美歌」は日本基督教団出版局で発行している讃美歌集として表現しています。 |