あとがき


 月本昭男氏の聖書講話では、旧約聖書は排他的な民族主義を越えて多民族性を保っているということを教えて頂いた。榎本空氏の講演では、己が立たしめられているカタストロフの現実の中で聖書の言葉を引き取る切実さを教えて頂いた。浅井慎也氏の発題では社会的弱者と共に生きる生きた信仰を学ばせて頂いた。特に相手を「リスペクトする心」には感銘を受けている。那須容平氏の発題では、教師としての教育現場での真摯な取り組みと信仰に関して学んだ。この度の講演は、すべてテーマに適う、現代の貧困、格差、差別の課題を浮き彫りにしているものであった。
 そして何よりもキリスト者ではない在日の玄香実(ヒョン・ヒャンシル)さんが特別講演をしてくださったことは、感謝であった。約430年前の豊臣秀吉の朝鮮出兵で朝鮮半島から強制連行されて来た朝鮮貴族の娘「おたあ・ジュリア」は、祖国への望郷の念と悲しみ・苦しみを抱きつつ、キリスト者となり日本人の為に尽くした。玄さんはキリスト者ではないが、在日の苦しみを深く味わいつつも、29年前の阪神・淡路大震災の際に、国や地方自治体がほとんど被災市民に経済援助をしないために苦しむ姿を見て、義憤にかられて、小田実さんと共に「市民=議員立法」運動を起こした。その運動は国会を動かし、この度の能登半島地震でも恒久法として適用されている「被災者生活再建支援法」成立の原点となったのだ。
 選挙権も持たない在日の玄さんが日本人の為に働かれたその姿は、キリスト者ではないけれども「おたあ・ジュリア」の愛の姿に重なる。在日の方々に対する日本人の姿勢は、これまでのようにバッシングし続けるようなことがあっては絶対にならない。愛と敬意でつながるべきである。
 一方で、このような社会問題を信仰的な場である無教会全国集会で扱わなければならないのか、というご意見を複数頂いた。かねてからこのようなご意見は繰り返し提出される。
 実にキリスト教や信仰とも関係なく、神は働かれる。私たちは社会的現象がたとえキリスト教や信仰と関係ないように見えても、神と関係ないと考えてはならないと思う。神はむしろ信仰者ではない人々を用いて、勝手に働かれるからである。ゆえに私共は一見キリスト教や信仰と関係ないような社会問題も、視野を広くして学びたいと思う。
 特別講演に関しては、テーマに即していれば、信仰と関係あるなしに関わらず広く学ぶことを趣旨とすることが、準備委員会の方針である。
 このような福音の広さと深さを見事に受け止めてくださったのは、独立学園から参加された生徒さんたちであった。「ヒョン・ヒャンシルさんが語られた、在日朝鮮人の歴史と今の現実についてのお話が印象に残っています。不平等や格差があるというヒョンさんの語られた日本の『現実』は、日本人として生きている私にとって向き合わなければならないことだと、強くつきつけられました」(岡槻之介さん;「独立学園との懇談会」)、「月本先生が話してくださった旧約聖書の民族主義の話と今とのつながり。榎本先生が話してくださった伊江島で戦った方々の強さと美しさ。そして玄先生が話してくださった“別の記憶”で見た朝鮮と日本の歴史。そのどれもが貴重な学びとなりました」「玄先生の講演の最後に『関心を持て。関心を持ったなら動け。』とおっしゃっていたように、私も考えを深めることをやめずに自分の考えを持ち、明日の平和のために行動していきます」(西川恵祐さん;「独立学園との懇談会」)。このような感想は、ほんとうに嬉しい。
 引率された中村頌教頭先生は、無教会の「地下水脈」を語り、基督教独立学園の教育の営みがまさにこの「地下水」の働きではないか、と言われる(「独立学園との懇談会」)。独立学園に流れるその清冽な地下水が、これからも無教会に真実な信仰の広さと深さを保持し与え続けてくださることを、心より願っている。そしてその期待は、キリスト教愛真高校、愛農学園農業高等学校にも同様に抱いている。今後無教会全国集会は、福音の真摯な営みを続ける学校の先生方や生徒の皆様と、「地下水脈」を探し当てる作業を共に担っていきたいと願っている。
 最後に特筆すべきことは、今回より賛美の質が高くなったことである。教会音楽家としての資格を持たれている土屋真穂氏が新たに準備委員として加わってくださり、集会テーマ、講演者を心に留めつつ選曲をされ、さらには自ら美しいオルガンでの奏楽もしてくださっている。選曲は多様性をも考慮されている。毎年の参加者は賛美、奏楽にも目を開かれていくことであろう。「全国集会 賛美報告」をお読みいただきたい。
 年ごとに変化し深化し福音に満ちた全国集会でありたいと願っている。

無教会全国集会準備委員会
事務局長 荒井 克浩