あとがき


 この「あとがき」を書いているのは、2024年1月12日である。無教会全国集会2023から2か月が経っている。今年の元旦には、能登半島地震が起こった。それからというものは日々被害状況が、東京のテレビ番組に報じられている。七尾市、輪島市、珠洲市のたいへんな状況が伝えられてくる。全国集会には数名の石川県から参加された方々がおられたので、心配になり電話で連絡をした。幸いにご無事であり、よかったと胸をなでおろした。しかし未だに余震があり、ご不安ではあると思い、主の御護りを祈る。
 もし全国集会に参加していなかったならば、このような心配は私自身に起こらなかったであろう。全国集会はエクレシアである。そして今回は、特別に韓国の無教会の教友11名が参加してくださった。朝鮮半島と日本の具体的なエクレシアが出現したのである。

 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。(Ⅰコリ12:26)

 日本は韓国に歴史的な罪を背負っているが、このパウロの言葉を日本人が本当に理解できていたならば、日本は韓国に罪を犯すことはなかったであろう。この世は敵対では決してなく、愛であることを、今回の全国集会では深く受け止めさせて頂いた。世界の民と共に苦しみ、共に喜びたい。

 なぜなら、私たちは皆、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの霊によって一つの体となるために洗礼(バプテスマ)を受け、皆一つの霊を飲ませてもらったからです。(Ⅰコリ12:13)

 この洗礼(バプテスマ)とは、復活のイエスの霊によるものであることは間違いが無い。この霊に生かされてこそ、無教会は成立する。そしてそこにこそ全国集会が成立するのである。
 世界の戦争の悲惨が日々伝えられてくる。その解決の糸口は、一つに集まった兄弟姉妹が織りなした、この記録集の中にも見出せるのではないか、と信じている。一つひとつの文章を、噛みしめるようにお読み頂ければ、編集者の1人としてこれに勝る喜びはない。
 「韓国よりの参加者感想」で、李 禮周(イ・イェジュ)さんの「全国集会が予定通り終わり、私たちは声を一つにして歌いました。『また会う日まで』を1番は韓国語で、2番は日本語で、3番はそれぞれの言語で一緒に歌う時、私は涙を流しました。 本当にありがとうございました」との言葉に、胸が熱くなった。

         우리 다시 만날 때까지
        また会う日まで!

荒井克浩