10.自由な話し合い
第1集会室(ZOOM参加者中心) 報告 司会・記録:荒井克浩
第1集会室では、ZOOM参加者を中心に、会場参加者としては韓国からの方々4名、日本人6名で話し合いが持たれた。司会は荒井克浩が担当した。 ![]() ● 金哲雄先生のお話が大変に深くて勉強させて頂いた。鷲見先生の主題講演に関しては、韓国の方々への謝罪という意味で語って頂きたかったし、私もそのように思っている。近藤恵さんが言われたことは大切なこと。太陽光発電の話は素晴らしい。通産省が原発を性懲りもなく推進しようとしていることは、怒り以外の何物でもない。私は今年の正月に著書を出版した。その中で日本が進むべき道として、自然循環に従うような、大企業中心ではなく、農業・漁業が自己循環するような、まさに主に愛される経済・社会をつくって行くべきだと、そのように書いたので、もう一回近藤さんの仕事も改めて勉強させて頂きたいと思う。 ● 荒井さんのお話に始まり、信仰の本質に関わる話を聞けて感銘を受けている。韓国の方々にお目に書かれて嬉しい限り。現実の問題として、近藤さん・大内さんのお働きにも触れて、たいへんに充実した集会に参加させて頂き感謝している。 ● ZOOMでこのように全国集会に参加でき、感謝している。また韓国からの主にある兄弟姉妹との交わりも与えられ、感謝している。全国集会準備委員会の開催に向けた準備にも感謝している。 ● 息子が無教会全国集会に参加したことが嬉しいこと。農業は厳しい状況にあるが、前向きに希望を持って、家族と共に進んで行きたい。信仰と農業で頑張っていきたい。 ● 全国集会のために準備が大変であったと思う。今回のお話はいずれも考えさせられる話であったが、無教会の中における多様性を感じた。私は内村鑑三を通して信仰に入った。今日の話を家に帰ってじっくりと反芻してみたいと思うが、キリスト教の根本的な問題について、金哲雄先生からお教えいただいた。内村における贖罪信仰に関して、荒井先生の細かな見解をいつかお聞きしたいと思う。「無条件の受容」という言葉は、カウンセリングのカール・ロジャースの研究に基づいたものであると思うが、アンコンディショナル・アクセス(無条件)が、救済論の中で使われることはどうかということをご検討頂きたい。じっくりと読んで、また質問をしたいと思う。 ● 2019年に韓国に行き、お世話になり、感謝している。本日は無教会全国集会に参加させて頂き、感謝している。体調が十分ではないため、昨日今井館にお邪魔をして、短時間韓国の皆様と交流させて頂き、本日は自宅から参加をさせて頂いている。本日は様々な学びをさせて頂いたが、荒井先生のお話しに関しては、私どもは水戸の無教会に所属しているのだが、Mさんのご家族の方が水戸に居られて、Mさんが前田護郎先生から、信仰を真(まこと)と訳すことを学んだ、ということを紹介されて、それを集会で取り上げて、学ぶ機会があった。今日はそのことを、荒井先生が膨らませて詳しく解説していただき、感謝している。「原発を止めた農家たち」近藤恵さんが「後世の最大遺物」を取り上げてご紹介下さったが、その本にはもう一つ「デンマルク国の話」が載っている。これに関しては触れておられなかったが、この「デンマルク国の話」の末尾の方で内村は次のように書いている。「デンマークの話は、私どもに何を教えますか。・・・第二に天然の無限的生産力を示します。富は大陸にもあります、島嶼にもあります、沃野にもあります、沙漠にもあります。大陸の主かならずしも富者ではありません、小島の所有者かならずしも貧者ではありません。・・・富は有利化されたるエネルギー(力)であります。しかしてエネルギーは太陽の光線にもあります、海の波濤にもあります、吹く風にもあります、噴火する火山にもあります。もしこれを利用するを得ますればこれらはみなことごとく富源であります」。今の再生可能エネルギーの姿を実に的確に表現して、日本はこうした資源を活用して、小さな国だけれども豊かに未来を切り開くことが出来る、という極めて預言者的なことを伝えているので、「後世の最大遺物」を取り上げておられたが、「デンマルク国の話」もまた示唆に富むのではないか、と感じている。 金哲雄先生のお話も、非常に創世記の学びを深める上で参考になったことを感謝申し上げる。 ● 昨日は、韓国の方々とお会いできて、とても嬉しかった。日本の戦争の時の、日本軍の蛮行をどうか赦してくださいますように。アジアの方々に多くの被害を与えたことを、本当に申し訳なく思う。それでも日本に来て下さり、ありがとうございます。これからも宜しくお願いいたします。 ● 初めての全国集会参加だが、感謝申し上げる。一番隣国の韓国の方々とも、このようにして初めてお会いするが、内村鑑三の信仰を長く護っておられる方々に敬意を表したく思う。荒井先生、金先生の深い話に感謝。創世記の深い学びをさせて頂いた。「どこにいるのか」と問われた時に「私はここにいます」と答えられるような信仰生活を全うしたい。神様は私たちのありのままでよい、ということを待っておられる慈悲深い神であることに、感謝する。荒井先生には、数年前に初めて今井館に行ったときにご案内して頂いて感謝している。体力のゆるす限り、年に1回多磨霊園の内村先生や矢内原先生の墓、各先生の墓をお参りすることが現在の私の希望。そのときには、本当に身近に様々なことを教えられる、声が聞こえるような気がしている。これからも無教会を続けてまいりたいと願っているので、宜しくお願いしたい。韓国の方々も、理解し合えるこのような場を与えて下さり、感謝している。 ● 荒井先生、鷲見先生の話がたいへんに勉強になった。愚かなままでの受容ということと、信仰は神から与えられる、という二点が心に残った。おそらくは時間の制約があり、言及できなかったのであろうと思うが、「悔い改め」の言及があればよかったと思う。信仰は神から与えられる、というとカルバンの予定説のようなことを連想する。韓国や台湾の方々と交流を持つときにいつも心に引っかかるのは、隣人に対して赦しを求めるという意味での悔い改め。直接自分がしたのではなくても、身内や先祖の罪の赦しを、神に対しても悔い改めるとともに隣人に対しても赦しを頂くという、そのことを思った。鷲見先生に関しては、日清戦争以降1945年までの歴史を「日本人の原罪」という言葉ではっきりと指摘したことが心に残った。戦勝者米国の罪意識ということはどうなのかという指摘をされていて、彼らもrationalizationという言葉を使い、その中に原罪意識があるのではないか、という推測をされていた。私はこれに関してはクエッションマークを感じている。戦勝国の米国の1945年以降の外国に対するスタンスは、特に沖縄に居て感じるが、その後の歴史・行動、今なおかつ持っている行動原理が、広島・長崎に対する原爆に対する経験値として悔い改めには至っていないのではないか、と感じている。太陽光パネルの話等、いろいろな内容があったこと、嬉しく思う。特に韓国の方々が来られて、心から嬉しく思っている。 ● 全国集会に、このようなZOOMという方法で参加が出来て、また韓国の方々とも、画面やお話を通してお会いすることが出来た、嬉しく思っている。またこのような機会を整えてくださった全国集会の準備委員の方々にも心から御礼を申し上げる。いつか顔と顔をあわせてお会いできれば良いな、と思っている。たくさんの学びをありがとうございました。 ● 本日はZOOMという形で参加をさせて頂き感謝している。10年ほど前に大阪での全国集会に出席した以来のこと。今回テーマである「福音に生きる」ということはキリスト者にとって命なのだ、ということを痛感している。特に今回、韓国の金哲雄先生が語られた「あなたはどこにいるのか」は、常に私どもの心に留めることであり、北陸の地にいますと、いわゆる仏教王国の中にいて、ある意味で単独でその課題に立ち向かわねばならないというところもあるが、幸いにもこの金沢にも無教会の集会があり、2週間に1回になるが参加している。金先生の「あなたはどこにいるのか」が心に留まり、アダムとエバがなぜ神への悔い改め、立ち返りをしなかったかが、不思議であると思った。造られたにもかかわらず、隠れること、言い訳すること、責任を転嫁すること、人間とは何と罪深いのだ、ということをつくづく思った。日頃私の集会でエレミヤ書、ヨブ記などを読むときに、「立ち帰れ」という言葉、「悔い改めよ」という言葉が聖書の根幹をなす言葉であると思っている。イエスもバプテスマのヨハネも「立ち帰れ」ということばで第一声を発せられたということを覚える時に、そこに立ち帰らずにどこに立ち帰るのか、と思う。 私の母が無教会の信仰を持った時に、家族から許されず、集会に行くことが出来ないで、一人で信仰を護ろうとした時に「内村鑑三先生がおられる」ということを知り、たとえ教会へ行かなくても信仰を保つことが出来る、ということを知った。私はその母を通して、生涯、無教会の先生方との繋がりを持つことが出来た。北陸の地にも無教会の方々がおられるのだ、ということが助けになっている。全国に無教会の方々がおられる、ということばかりでなく、韓国・台湾にも無教会の方々がおられる、ということは、本当に心強い思いであった。こういう集会は本当に大変なことと思う。特に地方にいて孤立しがちだが、しかしそこにも繋がりがある。それはイエス様の憐れみであり、神様の憐れみであり、と思い感謝している。 ● なかなか参加できないのだが、このような形で参加が出来、感謝している。私の恩師が無教会の方で、その方が大学にいた時に聖書研究会を開いて下さり、そのつながりで、今までいろいろな方と出会えたことを感謝している。今回は韓国の方々との礼拝も与えられて感謝である。 ● 本当は午前中のみの参加であったが、昨日怪我をして、出かけられなくなり、午後までの参加ができるようになるという恵みを頂いた。全国集会に参加でき、感謝している。全体を通してパウロのロマ書からアダムの話、そして現在進行形の原子力の問題、自然エネルギーということまでの拡がりの中で、近代人の問題、自己・自我の肥大化という問題が指摘されていることは、非常に大事なことを教えていただいたと思う。鷲見先生が日本の歴史を振り返って、台湾侵略から敗戦の歴史までを日本人の原罪と言われたことは非常に印象的であったが、この原罪は現在進行形で、今でも私たちが同じ道を誤って進んでいるのではないか、と思う。ほんとうに神様に立ち帰って神様の呼びかけを受け止めることができればと思った。 ● 私は隠れ無教会であり、クリスチャンになってから内村鑑三や矢内原忠雄を知った。今、私は教会に属しているが、客観的に、共通点などを学ばせていただいた。 ● 今回ZOOMで参加させて頂き、たいへんにありがたく思っている。今回いろいろ学ぶことがあったが、4つの話はそれぞれ方向がかなり違う。しかしその4つの話が調和して全体として、信仰についてとてもよいまとめになったと考えている。特に韓国の兄弟姉妹が来られたことをほんとうに嬉しく思う。私は20年以上も前に、韓国を2度訪問する機会があり、そのとき多くの韓国無教会の方とお会いした。お会いした多くの韓国の方々は、ご両親や親族が日本人に殺された方々が非常に多かった。それにもかかわらず、私の出会った韓国の無教会の方々は、恨みのようなことを少しも示さなかった。私は誠に申し訳ない、という気持ちが一層強くなった。時間はその時よりだいぶん経っているが、ここで私は韓国の皆様に、私たちの罪をお許し願いたいとお詫び申し上げたい。そしてもし赦して頂けるならば、日本と韓国は最も仲良くしていかなければならない二つの国と思っている。政治の面ではぎこちなく進むことではあるが、一人ひとりの問題として、特にクリスチャンとして、本当に仲良くして、これが世界中が仲良くなるためのスタートとなるようなことを願っている。 ● 金哲雄さんのお話は、わかりやすく本質をついていると思った。 ● ZOOMを通して、2回目の参加だが、感動を受けている。ZOOMを通して、初めてお会いした方など、また韓国の方など、たくさんの出合いがあった。ほんとうに「今、自分がどこにいるか」と問われた集会であった。その問いにこれから応えていきたいと思っている。 ● それぞれの方々のお話から、たくさんの学びと示唆を頂いた。韓国の方のお話もいろいろと思わされた。準備委員会の皆様お疲れ様。 ● 金先生の話はとても心に残っている。人間に自由意志を与えた時に、神には人間が罪を犯すことを想像されていて、赦す準備がそのときからできていたということが、深く心に残った。 ● 長い間、高校で歴史を教えていた。特に朝鮮・韓国の歴史は体系的に詳しく教えた。特に近現代史を、日本が大陸を侵略したことを詳しく教えた。いまだに日本の政治家の中に、杉田水脈というたいへんな人がいるが、政治家がヘイトスピーチのあり方を変えようとしない。日本の裁判所も、これは不当である、としたのに、制度がいけないのだ、と言う。まったく話にならない。そのような政治家を放っておくような人々が日本の政府を担っているということは本当に恥ずかしい。そのようなことを変えて行かなくてはならない、と平和運動に取り組んでいる。 ● 韓国と日本の対面交流がコロナのために3年間できなかったが、今年ようやくできることになり、とても嬉しい。このように11名の兄弟姉妹が日本に来てくださって、あたたかい手を差し伸べて下さり、ほんとうにありがたく思っている。これからも主にある交流を続けさせて頂けたら、ありがたい。 ● 現在は長野県の上田に住んでいる。上田は日照時間が長く、太陽光パネルの効率がよい。教会などでも、天の恵みにあうエネルギーとして、開発されて行けばよいな、と思っている。今年は福岡にも行ったが、晴れている時は韓国が近く見えて、歴史的な問題はあったが、日本のクリスチャンと韓国のクリスチャンとが仲良くできればいいなと思う。 ● 「あなたはどこにいるのか」と聞かれたら、私はおそらく答えられないと思う。でも、イエス様の十字架によって、少しでも「どこにいるのか」を答えられるように、いつも信仰していきたいと思っている。 ● 私は、神様は全ての人々を愛しておられる、と話したが、今回韓国の方々とお会いできて、心より感謝している。今後も赦されて、よい交流ができれば、心より嬉しく思う。 ![]() |