05.韓国
「平和、すなわち愛」
キム・ボンネ(金 福禮)
プロフィール
私は韓国無教会のキリスト者です。ソウルの梧柳洞集会で宋斗用先生の信仰精神を学びながら過ごしてきましたが、しばらく釜山で暮らすようになって釜山で家庭集会をしています。韓国聖書信友会の会計を担当しており、梧柳文庫も管理しています。また、夫(孫鉉燮)が発刊している聖書信愛誌の編集も手伝っています。 長い間、初等学校で勤めましたが、3年前に校長として定年を迎えました。日本無教会の全国集会には2015年と2017年に参加して本当に多くの感動を受けました。 今年も楽しみに期待しています。所属集会名:釜山集会
1.はじめに
こんにちは。私は韓国から参加させていただいたキム·ボンネと申します。オンライン集会が開かれ、韓国からでも参加できて本当に嬉しく思っています。日本の敎友の皆さんはオンライン集会になり、残念かと思いますが、私には本当にありがたい時間です。
この厳しい状況でも全国集会が開かれ、お会いしている皆さんが羨ましいです。韓国は年に二回、夏と冬に全国集会を開催してきました。ところが2020年から現在まではできていないです。今年の冬からは小規模でも集会をしようと話し合っています。
今回の発表を提案された後、韓国無教会の教友たちと話し合いの時間を持ちました。各地の報告の時間なので、韓国のキリスト者としての感想を述べればいいというアドバイスをいただきました。それで韓国の様々な状況を申し上げ、イエス·キリストがくださった平和のメッセージを振り返ってみたいと思います。
何より、私の拙い日本語できちんとお伝えすることができるか心配です。よろしくお願いします。
2.韓国社会の狀況
韓国人にとって「平和」はとても特別な単語です。韓国は北朝鮮と対峙しているからです。皆さんもご存知のように、北朝鮮は毎日ミサイルを発射し、韓国をはじめ諸外国に向けてひどい悪口や怒りをぶちまけています。
韓国と北朝鮮は現在休戦状態です。1950年に起きた韓国戦争 (朝鮮戦争)の後、南北は休戦協定を結びました。終戦ではないので、いつでも戦争が起りうる状態だということでしょう。皆さんは私にこのように尋ねるか分かりません。
「それでは韓国は本当に不安な国ですね。」
不安な状態かもしれません。しかし、このようなことが70年も繰り返されたので、私たちはもう、「また始まったんだ。ああやってやめるだろう」と大きな不安は感じません。これは確かに良くないでしょう。でも私自身もそう思っていて恥ずかしいです。
最近は北朝鮮の問題でもうるさいですが、国内事情も静かではありません。先週末、ソウルで起きた梨泰院の惨事をニュースでご覧になったでしょうね。日本人留学生も犠牲になったというから本当に申し訳ありません。韓国の素顔を見せる事件だと思うと本当に残念です。
もう一つ申し上げることは、国民が二つに別れて進歩派だ、保守派だといいながらあまりにも激しく誹謗する風潮です。政治家がそうするだけではなく、私の周りの人々が極端な進歩派、極端な保守派になっていく状況に大変心が痛みました。政治的立場によって、人々が二つに分かれて沸き立っているのです。
韓国社会が解決していかなければならない問題は本当に多いです。一つ一つ事情を言わなくても韓国も日本も同じだと思います。皆さんも共感されるでしょう。世の中は本当に大変な所です。国家も集団も個人も美しくない関係が本当に多く見えます。実は聖書を見ても、遠くノアの時代も、イエス様の時代も、2000年が過ぎた今日の時代も完全な平和はないようです。
3.平和、即ち愛
以前に政池仁先生の本、平和論集を読みました。先生はこの世のなかを次のようにみていらっしゃったようです。
「世の中は悪魔のものである。悪魔はいつも同じ姿であらわれない。時代によって、地域によって、異なる扮装をして現れる。ローマ時代には皇帝を崇拝しなければ生命の脅威を受けた。宗教改革時代には法王に逆らうと火刑に処された。今日の悪魔は今日の服を着ている」。
神様が世界を創造されて以来、悪魔はいつもその時代に最もありふれた姿で登場するということでしょう。それで怒りのない世の中、諍(いさか)いのない世の中は最後まで来ないと警戒しています。そのすべての背後には悪魔がいるという指摘です。
ならば、このようにサタンが支配する世の中、美しくないことが起きるこの世で生きる私たちが平和を造り出すことは本当に出来るのでしょうか。私たちに平和は本当に訪れるのでしょうか。
私の日曜集会でこの質問をしてみました。皆さんが、イエス・キリストが平和だと答えてくれました。
「天には栄光、地には平和」
イエスが誕生した日、天使たちが羊飼いに語った言葉です。クリスマスになると街の広告看板にも登場し、クリスマスカードにもよく使われる文章です。この単純な文章が私たちに正解を知らせてくれます。イエス·キリストの誕生がまさにこの地の平和だということですから、どれほど幸いなことか分かりません。
私はこの一節を見るたびに心に限りのない平和を感じます。キリストがこの世に来られたことで、すでに平和が実現したという良いニュースですからね。それでキリスト者であるなら死の陰の谷を歩むとも心に平和を感じながら生きていると思うのです。
韓国と日本の交流と和解のために一生懸命に働かれたイ·ジング(李瑨求)先生の文章を紹介します。その方はコリント前書13章の愛がすなわち平和だと言われ、私たちをいつもこのように励ましてくださいました。
「真の平和は神の義から生まれる。キリストの愛から生まれる。平和は忍耐強く、親切で、妬(ねた)まず、傲慢ではなく、自分の利益を求めない。また、怒らず、他人の悪事を覚えない。平和は愛だ。愛する心なく平和を成し遂げることはできない。」
これからも世の中はきっともっと悪くなると思います。いくら良い教育や訓練をしても、この流れは確かなことだと思います。しかし、キリストは平和をもって臨まれ、去られる時も平和をなさいました。神様が与える平和を感謝しながら生活することを願います。
4.終りに
このごろ、韓国と日本の関係を心配する方が多いようです。そのなかで、韓国と日本の無教会信者の友情が50年以上維持されている図書館がソウルにあることをご存知でしょうか。梧柳文庫という小さな図書館です。杉山直先生が梧柳文庫支援会を設立し、日本無教会の教友たちの寄贈で本をおくってくださって、図書館が作られたと聞きました。実は、私はこの梧柳文庫のおかげで日本語を学び、無教会信仰も学びました。現在も本を送ってくださる方がたまにいて本当にありがとうございます。ソウルにいらしたらぜひ一度立ち寄ってください。
私の話に耳を傾けてくださって本当にありがとうございました。世の中は険しく私自身はたとえ弱い存在であっても、主のうちにある者には言い表すことのできない平和が与えられると信じます。これが今日のテーマです。
私の拙い日本語を聞くのに苦労なさったと思います。これからも韓国の無教会との出会いが続くことを切に願います。皆さんにお会いできて本当に感謝です。