今回は、ウクライナにロシアが戦争を仕掛けたころから、準備のための話し合いをはじめました。新型コロナ感染が留まることの無い状況で、どのような形で全国集会を開くべきか、を話し合い、Zoom形式で行おうと決定しました。その後揺るぎなくその準備をして来ましたが、さきほど「自由な発言・話し合い」で、森山さんからお褒めの言葉を頂き、ほんとうにこれまでの疲れが癒されました。
本日の参加者状況は、直接Zoomでのご参加の方々が56名、今井館にお越しになられてZoom参加された方々が19名、合計75名。たまたま本日は、別の場所で南原繁シンポジウムが開催されており、そちらへ参加される方もおられたであろうことなどを考えれば、使い慣れないオンラインの形で皆様にここまでお集まりいただけたことを、まず感謝いたします。
次に感謝すべきは、準備委員会の方々に対してです。今回から委員として参加されている瀬谷悦子さんは、Zoomのセッテイングに心を尽くして、何回も何時間もかけてテストを重ねてくださいました。そして今日も開会から今に至るまで、緊張しながら無事にここまでコントロールしてくださっていることに感謝いたします。また印刷物など事務的な下準備をしてくださった山崎健司さん、今井館聖書講堂会場に掲げる題字の作成や記録としての写真を撮ってくださっている飯田順朗さん、会計の籠屋公夫さん、いつも適切なご意見をくださる鷲見誠一さん、受付などの仕事をしてくださいました多田義国さん・中尾猛さん、ブログの配信などを中心に、建設的なご意見を頂いてきた大西宏さんに感謝申し上げます。お体が本調子ではない鷲見実三さんも心を尽くして下さり、坂内宗男さんは、昨年末に交通事故に遭い、まだご不自由な状況にもかかわらず、準備委員としてご参加くださったことに、なによりも心より感謝申し上げます。小舘美彦議長代行にはすべてを統括して頂き、本日はお連れ合いの知子さんにもお手伝いを頂きました。
矢田部千佳子さんの聖書講話は画期的であったと思います。フェミニズム的視点を、本日の聖書講話にも見事に入れ込んでくださいました。私たちが小さな人々を、どれだけ大事にして来たかを見つめ直すことが、これからの無教会には必要となる、と思います。そのことが人類としてもできていなかったがゆえに、戦争が起こって来た、とも考えられると思います。水戸潔さんが主題講演で「逃げる」ということをお話しくださいました。西暦70年にローマにエルサレムが陥落させられた際、キリスト者はペラに逃げたのです。その逃避は神からの啓示であるとも言われていますが(大貫隆『イエスの「神の国」のイメージーユダヤ主義キリスト教への影響史』158頁)、戦争の危機に際して「逃げる」という福音理解に基づく選択肢は、これまでにない提言であると感銘を受けています。キリスト者は強くなければならないという考えは往々にしてありますが、「逃げる」ということは卑怯なことか、否、一つの選択肢ではないか、ということなどをよく考えたいと思います。韓国からのキム・ボンネ(金 福禮)さんの「キリストの平和」に関するメッセージは、極めて純粋な福音でしたがゆえ、私は感動いたしました。それは「キリストがこの世に来られた時に、すでに平和は訪れている」というものでした。キムさんは、謙遜の余りに「つたない日本語で」と言われておりましたが、つたないどころか、極めて明確な福音理解において、十分に日本の皆様の心に伝わったのではないかと思います。韓国とZoomで心と心が結ばれたことに感謝いたします。沖縄の石原艶子さんからの、思い溢れるメッセージにも感動を受けました。
お一人、お一人が語られる言葉は違う言葉でございました。しかしそれらの違う言葉がここで一致できている、このこと自体が、私は「キリストの平和」である、と心から思っています。全国集会とはそのような場であろうと思います。結論はでなかったかもしれません。違った言葉であったかもしれません。しかしキリストがおられる限り、違っているままで一つとなることが出来る平和がある。本日その事をありがたく受け止めさせて頂きました。
無教会全国集会は「キリストの平和」のためにあるということを、改めて心に刻みつつ、また是非、集おうではありませんか。ありがとうございました。

文中写真:倉石 満