11-2.参加者感想


丸山 猛

 福島で本当に地元の方々が大変な思いをしながら生きていられる事に改めて気付きました。 福島のことも含め、私は神の国は地上にも作れるのではないかと思っています。 分科会のなかで神の国についてお話しをいただいたのですが、神の国とは、天国だけでなく地上でも作れるのではないかと思っています。

 地上で作れるというのは、
補足:①
 今、サタンの調略が激しくなっています。
補足:②
 ですけれども、私たちはそれを認めた上で愛によって生きていけるのではないかと思っています。 何故なら、神の本質は愛だからです。

 私は若い頃に福音を受けましたが当初は全く受け入れられず、虚しかったので聖書を読んでいました。ですが奇跡的な箇所を受け入れられず、自身が経験するまで受け入れられなかったのです。そういう私のような足りない人でも神様はずっと私を見ていてくださったという経験があります。 どのような状況の私でも神様はずっと、どの道にいっても、必ず道を戻されるという確信があります。 何故ならそういう経験をしたからです。
注)(常に如何なる状況、罪を犯している時も含め全て神は見ておられます。)

 多くの人、本邦ではキリスト者は少ないと思います。
私の実家は仏教系だったのです。そして妻も仏教徒です。
ですけれども、妻と信仰の面で折り合いがつかなかったとしても妻を認めた上で愛していく受容していくなかで、その人が変わっていくそして私も変わって行く。
それが、世の中の変革、神の国に近づけるのではないかと思っています。

補足:③
 今、金だけ、今、利権だけ、人を分断して統治して行く、
 そういう事がまかり通っています。
補足:④
 世の中には不幸な人達が大勢います。
 私たちが困っている人を救っていくのはお金ではなく

 本当の意味での愛、神からいでた愛でないと困っている人を私自身も含めて
救っていけないのではないかと思っています。

補足:⑤
 それを祈っています。

ホームレスの人達に関して
台風19号の時台東区でホームレスの人達が避難所から排除された事がニュースになりました。 台東区ではもう10年も前からホームレスを排除していました。それは各地でもそうです。日本堤のアーケードの下には、多くのホームレスの人達がダンボールと毛布1枚で、寒空の下で眠っていました。殆どの人がまるで死んだ人のようになり身動きもせず寝ていました。

 なんとも言えない気持ちになり、浅草駅に向かう途中で一人の屈強そうなホームレスの人が台車に大きなゴミ袋2つに空き缶を沢山積み歩いていました。今頃何をしているのだろうと思い声をかけました。彼がこれから御徒町までこれを売りに行くと言うので、私は、隅田川のところで買い取ってもらい、ご飯も食べさせてくれるのでしょう、と言うと、彼処は買い叩く、御徒町に持っていけば3千円にはなるのに、彼処では2千円程度とご飯一杯に味噌汁だけ。それに盗まれるかもしれないから夜のうちに御徒町に行くと言いました。盗みとかあるのかと聞くと、あると言いました。ホームレスのなかでも盗みがあり、安心できないという事を知りました。

 又、ある日、光が丘公園を散歩していて、そういえばホームレスの人達最近見ないなと思い、雑木林の方にいくと一人のお婆さんのホームレスの方が草むらで横たわって身動きもしないので声を何度かかけると、「お願い、人を呼ばないで」と言われ、無力感に襲われました。何もできない事に否応なしに気づかされ、絶望的な気持ちになりました。

補足:⑥
 補足①:キリスト者相互の愛により神の国がそこに成立する事。
そしてキリスト者から他の人に向けてでる愛により地上での神の国が拡がる事。
 補足②:サタンが跳梁ちょうりょう跋扈ばっこし人心を荒廃させ、人をサタンの支配下に
置こうとし、社会を分断している事。
 補足③:人間的な愛ではなく、神からいでる愛を私なき愛を伝える事において、人の心が 変わって行く。たとえすぐにキリストを信じなくとも、世の光となって愛が伝わり、それがやがて人の救いに繋がり拡がる事により社会を構成する人々の価値観の変革、 社会文化となり、生けるキリストによる神の国に発展していきます。
 補足④:これらは人間的欲望の果てしなさ故で、それをサタンは利用しています。そして彼らは 内心孤独なのだと思います。自らの欲望を求め、使い切れない財産を得ても内面は満た されず、人を服従させても飽き足らず、人の肉体だけでなく魂も含めて自らの奴隷に欲 し、それ故に人間的欲望と恫喝、により人を操り、分断させて統治することで安らぎを 求めています。その為に社会が壊され、多くの人の心を食い荒らし、人を歪ませていま す。そして彼ら自身が気付かずしてサタンへと走っているのです。
 補足⑤:知らずに見逃している困窮する人や心を歪ませた人々、自らを頼み、驕り高ぶり、破滅に 向かっている人、希望を失いし人々、その人々に如何に接していくか。自らも含めて。それは生ける神から出でる真実の愛(私無き愛)と赦し、人を裁かず、神によって与えら れた信仰とそれを伝える事だと思います。
 補足⑥:ホームレスの方々は様々な事情でそうなっているようです。私が聞いた範囲では、多く の人に無視されていますし、私がその人達の事を言うと、大抵の人が笑います。落伍者 なんだからいいんじゃねとか、人の事に構っていられるかとか、同情する余地もない とか。

しかし、その意見は正しいのでしょうか?
私は違うのではないかと思いました。そしてこれらは政治的制度的なもので補えるのではないかと考えました。政治に不正がなく制度を恣意的に適用せずに憲法や法律に定められた通りにすれば問題は解決すると。そしてそういう事を行なっている人達がいることも知りましたが、果たしてそれだけで解決するのでしょうか?

確かに、全ての人に制度が適正に運用されれば、生活費も医療費も住むところも(住居は難しいですが)保証されますが。それだけで疲れ切って身動きさえしない人の救いになるのでしょうか?

キリストはあらゆる人の為、そして最も気にかけておられたのは、見捨てられた人や虐げられた人、苦しんでいる人や病者、罪を持つ人を救う為に生きられたのだと思っています。

拙き文章、幼稚な内容にて赤面いたしております。

 汝、真実の人となれ。高慢にもならず、人を裁いてもならず、常に悔改め、真摯に祈り、主の言葉に聞き従い、人の業に惑わされず。自らに定められた道を歩み、種まく人とならん。

 人の業を恐れるな、人に頼るな、永遠の命を人々に伝うる事が汝の生涯の仕事なり。
怠るなかれ。