11-1.参加者感想


対馬 秀夫

 「祈りの友」会員。会は6年前に新たな形で発足し、私は次の年に入会しました。
当時、地元弘前の遠方の村で、たった二人で「二人三人会」として礼拝を守っていました。「二人三人会」は6年7か月で終わりましたが、「祈りの友」は祈りにおいてつながる超教派とでもいうべきエクレシアであり、その中での祈りを通して「二人三人会」は孤立化から免れ、目には見えませんが、全国の兄弟姉妹を意識させられ、力づけられました。この会に導かれたことを喜び、感謝しているものです。

 沖縄について、また福島についての実情を具体的に聞けば聞くほど、ただただ、ため息が出る思いで一杯でした。沖縄にて、辺野古基地反対の側も、政府の側にたって工事の進行を防御する側も同じ沖縄の人間としての思いをもちつつも、立場上対峙せざるをえない。基地問題の多くが沖縄に集中してしまい、沖縄の人たちどうしが加害者、被害者の関係になってしまう。そして、基地建設が巨大な渦のように猛烈な勢いで推し進められる。その渦の中に、一般の人たちは押し流されてゆく。そしてその巨大な渦の中で、金の力、権力の力が大きく働いている。

 福島の放射線汚染の問題も、子供の健康を第一に考えて、放射能汚染の実態を明らかにしてゆこうという立場にたいして、農業、漁業等の地場産業を「風評被害」から守って「安全宣言」を、放射能汚染の実態の解明はもういいとばかりに、推し進めてゆく。同じ福島県民が対峙してしまう。両方ともに、被害者なのに、対立した立場におかれてしまう。そしてここにも、国策として推し進められてきた国の原子力政策の問題性が福島の原発事故として露呈し、そのような大きな力のなかで福島県民どうしが苦しむことになる。そして、放射能汚染の実態解明は経済優先のもとに押し流されてゆく。

 わたしたちキリスト者もまた、この国の中では数少なく、周囲の人たちによるこの国の無神性の渦の中に生きています。かれらは敵ではなく隣人ではありますが、その巨大な無神性の勢いの中にわたしたちもまた押し流されてゆかざるをえない。でも、わたしたちには、先ほどの讃美歌で歌ったように、わたしは涙ぐんでしまったのですが、神によって罪の赦しが与えられている。罪の赦し、とは聖霊のことであると思います。そして聖霊は、永遠(とこしえ)の命へと通じているのです。この世の巨大な、サタン的力に取り囲まれてはいますが、生ける神がわたしたちの味方であり、力なのです。