|
10.報告
「原発事故後のフクシマの現状について」 千葉 由美
プロフィール「いわきの初期被曝を追及するママの会」代表。「TEAMママベク 子どもの環境守り隊」として子どもの環境の放射線量の測定を行い、いわき市に必要な対策を求めている。また、「ママcaféかもみーる」として子育て中の母親のコミュニティづくりのためのカフェ活動も行っている。 2018年に原子力規制委員会がモニタリングポストの撤去方針を発表したことを受け「モニタリングポストの継続配置を求める市民の会」の共同代表も務める。 原発事故から8年半が過ぎました。 原発事故後、福島県内では空間線量が比較的低いと言われてきたいわき市は、市民が危機意識を保ち続けることが難しい地域でもありました。いわき市は事故直後に高濃度のプルームがゆっくりと上空を通過したことにより、放射性ヨウ素による初期被曝の問題を抱えているのですが、半減期が8日と短く、実態把握が困難なヨウ素被曝については多くの市民は知らないまま今に至っています。2013年、私はいわき市に住む母親たちと共に「いわきの初期被曝を追及するママの会」を立ち上げて、子どもの被曝防護策を求めるための具体的な行動を起こし始めました。市長への公開質問状の提出、署名活動など、初めてのことにチャレンジをする私たちの前に立ちふさがったのは、ごく身近な家族や周囲からの無理解、差別や偏見、根深い男尊女卑といった、事故前から存在する問題の数々でした。 痛みと共に多くの大切なものを失いながら、事故の影響は実害ではなく風評被害だと言わなければ進まない原発事故からの復興。その中で子どもたちの健康被害を最小限にとどめるための動きはとてもハードルの高いことなのです。また、事故の影響はたいしたことがなかったとしてしまえば、私たちは加害者に対して事故の実害を訴えることや権利の主張をすることができなくなってしまうのですが、そういった罠に嵌ってしまっていることに気付いている市民は驚くほどに少ないように感じます。命や健康よりも経済を優先する社会において、子どもたちは被曝から守られることも、自分を守るための知識を与えられることもなく、復興のシンボルとして安全をアピールするための道具のような扱いを受けていることに、私たちは震えるほどの怒りを覚えています。 私たちの活動内容は、子どもの環境の放射線量の測定と、母親同士のコミュニティづくりを主な柱としています。子どもの環境の放射線量の測定については、教育委員会の許可を得て行っており、その結果を報告しながら、いわき市の担当者との協議を定期的に行い、必要な対策を求めています。国の基準は市民の健康被害を最小限に食い止めるためのものではなく、保障賠償逃れのためのとても冷たいものです。私たちはいわき市に対し、原発事故によって多くのリスクを課せられてしまった子どもたちにこれ以上の被曝をさせないため、国の基準に従うだけではなく自治体独自の基準を設けてほしいと訴え続けています。これまで叶えられたことはごくわずかにすぎませんが、私たちがこうした具体的な行動をしていなかったら、放射線量の測定すら必要のないこととされてしまっていたというのが現実です。原発事故の幕引きを急ぐ国に対して、私たちはどこまで抗うことができるのか・・・。闘うという言葉はなるべく使いたくないのが本音ですが、私は子どもを守るための戦略を常に考えながら暮らさなくてはならなくなってしまいました。 事故から8年半が経った今、見えてきているのは新たな問題の数々です。当時はまだ学生だったような若い母親たちは、なにが起こったのかさえも分からないままに子育てをしています。世代交代による無知状態は深刻で、放射能を知らない子どもたちの追加被曝は免れない状況となっています。原発事故を経験し、多くのことを学んできた私たちは、次世代に渡すための方法も考えなければならない時期を迎えています。つながるための策を考える上では、真面目さや深刻さは人を遠ざけてしまうという苦い経験も生かし、おいしくて楽しいお茶会を定期的に開催し、母親同士の情報共有のための場づくりを続けています。世代を超えたつながりを築く中で見えるのは、核家族化により孤独を抱えた状態で子育てをする母親の姿です。お茶会に参加しなければ、放射能のことなど全く分からなかったという若い母親は、「最近やっと人に頼れるようになった」と話し、様々な悩みを打ち明けてくれるようになりました。 この社会が生み出した放射能以前の様々な問題は、ひとりで抱えるには荷が重いようなことだらけです。 問題はますます深刻化し、この険しい道はまったく先の見えない状況ですが、私たちの歩みによって子どもたちの未来が左右されてしまうことを考えれば、音を上げるわけにはいきません。今を生きる大人たちが連携し、改善方法を共に模索していけることを、心から願っています。 |