08.発題-2


「神の国と地の国」

多田 義国
プロフィール
1946年、島根県江津市でキリスト教無教会の両親の元に四人兄弟の三男として生まれる。1974年、伝道者堤道雄先生に出会い、先生の各種講習会、講演会に出席する。
先生の紹介で、政池聖書研究会に入会し、日曜礼拝に出る。また政池集会会員の原梅子さん宅で田村光三先生を中心として行われていた「一羊会」に参加。現在、キリスト教独立伝道会、東京聖書集会の会員。

 私たちの住むこの地球、地の国は大昔は恐竜の天下だったこともあったようですが、今や、人間の天下で、人間様が我物顔でこの地球上を勝手に境界を造って専有しています。その人間が長い間中心となって治めてきた現在の地球の姿を見ますと、陸も海も様々な汚染が進んで、動物や植物の種や数が激減している状況です。私が子供の頃よく見かけたホタルはとっくにいなくなり、バッタやトンボ、チョウチョウ、なども本当に見かけなくなりました。海も発泡スチロールやビニール袋が浮き、ごみで汚れ、現在、海洋プラスチックを多くの魚が食べて死んでいると聞きます。そしてまた原発関連の汚染水や汚染ごみの処理問題もあります。人間にはこれからこうした汚染を食い止め、昔のきれいな海や陸地に戻すことが出来るのでしょうか。また地球温暖化で異常気象が起こり、年々日本を襲う豪雨や台風も強力になって、災害もひどくなっている感じがします。先日来の台風,豪雨がいい例です。そして南極、北極の氷が溶けて、海水が上昇し、島国が消えるという深刻な状況も起きています。先月でしたか国際会議で世界の国々の温室ガス削減が全く進まず、今の大人たちが、子供たちの未来を見捨てているという新聞記事を見ました。他にも地球の砂漠化や熱帯雨林の消失、地下資源の枯渇化など様々な大問題がありますが、こうした問題は人間が引き起こしたのですから、人間にはそれらの問題を解決する責任があります。しかし世界の首脳たちは自国を利する政治的問題ばかり気にかけて、地球全体のこのような深刻な環境問題を真剣に解決しようとしていません。これらの問題は地球存続の大問題ですから世界の首脳や学者が知恵を出し合い協力して速やかに対策を講じなければならないことです。そうしないと将来どんな結果になってしまうかは容易に想定できることです。しかし人間は何もせず、何もできないままこの地の国、地球を破滅、滅亡させて行ってしまうようで、非常にもどかしいものを感じます。そしてそれはまた罪のない他の生物の命まで奪うことになるのですから、他の生物には大変申し訳なく、人間の罪の重大さ、人間の傲慢を感じないではいられません。

 政治面でも世界をリードするアメリカのトランプ大統領は、御存じの通りポピュリズムと言う、自国の利益を第一とする政策を行っておりまして、その利己的政策は当然のごとく世界の国々との間の対立を煽りたて、世界をいたずらに混乱に陥れています。このようなトランプ氏の利己的な考え方は、他の諸国の首脳も大同小異、持っていて、自国に有利な政策ばかり考えて行っております。私は先日テレビで政治座談会を見ていましたら、一人の人が「外交交渉は自分の国の国益を第一に優先して考え、行うことは当然のことだ」と言いましたら、他の人達も皆尤もだというように肯いていました。確かに私が他国と交渉するような場に置かれましたら日本の国益を第一に考えて交渉にあたるだろうと思いまして、このポピュリズムには大きな説得力があると痛感しました。しかし、そうであっても、ここで話が終わってしまうと、国家間の対立を助長はしても互いの立場を理解し合って平和的に収めることなどできません。問題なのは、こうした対立がどんどん深まって行き、戦争に発展し、地球が破壊、破滅に向かうことです。ですから外交交渉はどんなに激しく対立しても、最後には世界が平和になり、そこに住む人が安全に、幸福に暮らせるところとするという平和ビジョンを持って行わなければなりません。世界の首脳や政治家は勿論、一般人も皆この正しい平和ビジョンをしっかり信念として持って国際紛争を解決してもらいたいものだと思います。私たちが誇りとする日本国憲法の九条にはこの平和ビジョンがはっきり謳ってあります。そこには『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』とあります。こういう平和思想を何人も最終の道徳として持っていてすべての問題に対処することが必要なのです。 各国がポピュリズムばかりを主張していると世界の対立、混乱は決して収まらず、やがてこの地の国は滅びてしまうのは自明の理です。今年、北朝鮮の核廃絶に関してアメリカと北朝鮮のトップ会談が実現されたのには、世界中の人が驚くと共に大いに期待したものですが、その後北朝鮮が核を先に廃絶するか、アメリカの方が先に米韓合同演習など北朝鮮が脅威とするものを取り除くかで全くの膠着状態に陥ってしまっています。このようにどちらも自国の利益ばかり考えていると問題は解決しないのです。現在問題になっている最悪の日韓関係も同じです。また今一番世界が心配していることはアメリカとイランが戦争を始めるのではないかということでしょう。私はイランは大国ですから、両国が戦争したら、両国だけでなく、地球全体の破壊、破滅が急速に早まると思います。世界の国々はアメリカとイランのどちら側に着くかなど考えず、絶対に戦争にならないよう努力してほしいと思います。次に日本のことを考えてみますと、安倍首相は平和憲法を変えて、日本を戦争の出来る体制にし、毎年巨額な軍備費を投じて、日本を要塞化しようと考えているようですが、先にありましたサウジアラビヤの石油施設がドローンによってピンポイントで破壊されたのを見ますと、私は日本がどんなに要塞化して行っても、それをかいくぐる技術が開発されて、原発施設や東京などがドローンのようなものでピンポイントで破壊されることを想像すると、これから日本がどんなに毎年巨額な国家予算を投入して国土を要塞化しても国の安全は決して保障されないと思います。そしてまた安倍首相が日本を戦争の出来る国にしようとして一生懸命なのは、アメリカの強力な軍事力の傘下に入っていれば日本の安全になると考えるからですが、しかしそれにはアメリカの軍事力が常に世界最強であってもらわなければなりません。アメリカがどこかで戦争を始めると、日本はアメリカを負けさせてはなりませんから、日本はアメリカを全力を挙げて軍事面でも支援せざるを得ないのです。安倍首相の憲法改正の国民投票というのはそういう戦争が出来るようにするための準備だと思います。そしてアメリカの核の傘下に入るというこの日本の地位はアメリカに弱みを握られていることで、対等でなく従属的であることは言うまでもありません。安倍首相がアメリカ大統領にすり寄り、最も親密な友好国であるような得意げな顔をしても、それは親分子分の従属的関係ですから、見ていて不快なものを感じざるを得ません。全く馬鹿げたことです。そんなことより、日本が世界の戦争を抑止するため先頭に立って、世界平和を呼びかける方がどれだけ日本の存在価値を高め、世界から尊敬され、後世からも称賛される国になれることかと思います。世界がもし今後核爆弾を撃ち合う戦争をするようなことになればその時こそこの地球、私たちの住むこの地の国は終わりです。人間はどこまで行っても利己的ですから、人間が軍事力や経済力等の力に頼って物事を考え、行う限り、この地球を永久に平和なところとすることは不可能だと思います。

 ではこの地の国を平和にする方法はあるのでしょうか。あります。それは人間の力に頼むのではなく、神様に目を向け、神様に頼むことです。内村鑑三先生も言われている通り人間に頼り社会改良や道徳、倫理を唱えても人間は変わりません。人間には自分の罪、汚れを消し、救う力も世の中を正しく清くする力もありません。
人間が罪から救われ、世の中が正しく清くなるためには神様という外部の力に頼むしかないのです。創世記にあるように神様は世界を創造され、被造物を全て非常に良いと愛でられました。ですから神様こそが最もこの地の国が平和であり、そこに住む者が皆幸せでいることを望んでおられるのです。神様のその御心の実行が御子イエス・キリストを天からこの汚れた地の国に遣わされて、この地の国の民の罪を贖って神の国にしようとされたことに現れています。ここに神の義と愛が証明されています。そのようにしてこの世に使命を持って降って来られたイエス・キリストは開口一番「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われ、この地の国が神の国になるよう人々に伝道されました。神を知らない人間だけの世界、人間中心主義から、神を知り神を信じ、神の掟である神と隣人を愛する、つまり神に従い神を中心として隣人と愛し合う平和な社会を目指しなさいと言われたのです。そしてそれには常に神とキリストと共にいることが重要であると教えられました。父なる神様と御子イエス・キリストと人間が一体となっている世界、それが神の国です。父なる神は究極の愛と義、平和の神でありますから、この父なる神からそれらすべての善きもの、善が泉となって湧き出て、世界は潤わされているのです。ですから、この方と一体となり繋がっていれば人も世も万事が益となるのは当然です。キリストは私たちに「天に行われている神の御旨がこの地にも行われますように」と祈ることを教えられました。天にある神の国が地にもなりますように、というこの祈りを人が常に持って生きるなら、この地の国が神の国となり、天にも地にも平和が成ります。この地の国は神が創造されたもので、もとは神の国の一部です。地も海も空も空気も水も火も全て神から戴いていて、私たちは日々神様によって生かされているわけですから、人間は神を信じ、畏れかしこみ、謙遜となり、神と共にあって神から義と愛と平安を戴いて、神の民として生きるなら、この地の国は平和な神の国になります。