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08.発題-3
「応え給う神-愛する人の死において」 小舘 美彦
プロフィール
1964年9月4日東京都まれ。中央大学法学部法律学科卒、中央大学大学院博士後期課程(英文学専攻)満期退学。1996年~2004年中央大学・明治大学・青山学院大学非常勤講師。2006年~2013年公益法人登戸学寮(大学生のための学生寮)寮長。現在、拓殖大学特任講師、公益法人春風学寮寮長。キリスト教横浜集会(無教会)会員。 訳書 『ジャパン・クリスチャン・インテリジェンサー』(内村鑑三著、小舘美彦・知子共訳、燦葉出版2017) その私が今こうしてこのように元気に生きている。しかも元気に神様について話をしようとしている。これはいったいどういうことでしょうか。いったい私には何が起こったのでしょうか。私はどうしてこのように変わることができたのでしょうか。それは言うまでもなく、神様が応えて下さったからです。「あなたはなぜこのような幼子の命をお奪いになったのか」という問いに神様が応え給うた。だからこそ私はこのように神様について語ることができるほどに元気になったのです。 では神様はいったいどのようにお応えになったのでしょうか。 最初に神様が応えて下さったのは、子供の病床で聖書を読んでいたときでした。私はなぜ神様は幼子の命を奪うのかという問いの答えを求めて聖書を読み続けました。そのとき、イエスの十字架上の言葉「わが神わが神なぜ私をお見捨てになったのですか」に出くわしたのです。以前からこの言葉のことは知っていました。しかしこのときには、この言葉が以前とは全く異なる光を放って感じられました。それは、この言葉が病床で苦しんでいた自分の子供の気持ちを代弁しているかのように思われたからです。うちの子は確かに病床で「お父さんお母さん、なぜ私を助けてくれないの」と心の中で何度も叫んでいたことでしょう。幼子にとってお父さんやお母さんは神様のようなものですから、それはそのまま神様に助けを求める叫びであったと言うことができます。つまりうちの子供は確かに病床で「わが神わが神なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫んでいたのです。それと同じ言葉をイエス様が十字架の上でお叫びになっていた。この発見に私は衝撃を受けたのでした。このことに気づいたとき、病床で苦しむ子供と十字架上で苦しむイエス様の姿は完全に重なりました。そして子供の傍らにイエス様が寄り添ってくれているように思われました。それはまるで神様が「あなたの子供の苦しみは全て私が引き受けるから安心しなさい」と語りかけているようでした。このとき私は何と深く慰められたことでしょうか。このとき以来、苦しんで死んでいく子供の傍らには必ずイエス様が付き添っていると信じられるようになりました。そして死に行く子供たちは必ずしも不幸ではないと信じられるようになったのです。これが、「なぜ幼子の命をお奪いになったのか」という私の問いに対して、神様が最初に与えて下さった応えです。つまり神様は、イエス様の十字架の言葉を通して、神の子であるイエス様がいつも苦しんで死に行く子供たちとともにいらっしゃるから、彼らは必ずしも不幸ではないのだと教えて下さったのです。 いったいなぜ神様はイエス様を十字架にかけたのでしょうか。人の罪を償うためというのが通説ですが、私にはもう一つ重大な理由があるように思われます。それは、苦しんで死に行く者とともに神様が共にいる、神様がその苦しみを引き受けるということを伝えるためであったと思うのです。事実、私は十字架のこの力のために何度も愛する人の死を乗り越えることができましたし、私の周囲にもそのようにして愛する人の死を乗り越えた人が何人かおりました。イエス様が十字架上でどん底の苦しみを味わったこと、そして「わが神、わが神なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫んで死んだこと、このことを通して私たち人間は、神様が苦しんで死に行く者の傍らに絶えず寄り添っていることを示されるのではないでしょうか。このことこそは愛する人の死に苦しむ人間に対する神様の応答の一つなのではないでしょうか。 その次に神様が応えて下さったのは、その十数年後に登戸学寮という男子学生寮の寮長に就任してからのことでした。この学生寮は、大学進学のために地方から首都圏に出てくる男子学生たちを安価で寄宿させ、その代わりに彼らに聖書を教えるという寮ですが、私がそこの寮長に就任してから4年目には女子寮が併設され、それにともないたくさんの女子学生が入寮してくるようになりました。私はこんなにたくさんの女子学生を受け入れて大丈夫なのかと不安になりましたが、彼女らのかわいらしい顔を見ているうちにふと気づきました。うちの娘が生きていたとすれば、彼女らと同じ年齢なのではないかと。調べてみると果たしてその通り、彼女らは亡くなった娘とほぼ同じ年齢でした。そして二年目に入寮してきた女子学生たちのほとんどは、娘とまったく同じ年に生まれた女の子たちでした。私には15年前に死んだ子供がたくさんの女子学生として甦ったかのように思われました。そして全てに合点がいきました。いったいなぜ神様はうちの子供の命をお奪いになったのか。それは私をキリスト者として育て、イエス・キリストの福音を彼女らに伝えるためであったのだと。神様は、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」というイエス様の言葉を娘の死を通して現そうとしていたのだと。私はこのことを示されてから、女子学生たちを精一杯愛しました。そして彼女らに福音を伝えようと努力しました。残念ながらほとんどの子に福音は伝わりませんでしたが、少なくとも彼女らはキリストの愛というものがいかに素晴らしいものであるか、それを求めて生きることがいかに幸せにつながるかということは学んで卒寮していきました。そして今や彼女らは結婚適齢期。彼氏ができたり、結婚したり、子供ができたりするたびに私のもとにやってきて、喜びや悩みを打ち明けていきます。そのような彼女らとすごしていると、本当にうちの娘が生きていて、戻ってきてくれたかのようです。神様はまさしく「一粒の麦は、・・・死ねば、多くの実を結ぶ」という言葉を実現したのでした。これが、「なぜ幼子の命をお奪いになったのか」という私の問いに神様が与えて下さった二番目の応えです。 イエス様はパウロにこう言いました。「私の力は弱さの中でこそ十分に発揮される」と。人間が最も弱いときとはどのようなときでしょうか。まさしく死のうとするときではありませんか。つまり人が死のうとするときにこそイエス様の力はもっとも強く発揮されるとイエス様は言っているのです。事実、イエス様は子供の死を通して非常に大きな力を発揮し、私をキリスト者にし、登戸学寮の寮長に就任させ、女子学生たちにキリストの愛を伝えました。何と豊かな実りをもたらして下さったことでしょう。この力は今後もどんどん大きくなって働き続けることでしょう。この働きもまた、愛する人の死に苦しむ人間に対する神様の二番目の応答の一つなのではないでしょうか。 最後にもう一つだけ神様からの応答を紹介して終わりとしましょう。その応答があったのは、八王子にある「東京光の家」という視覚障害者の施設で聖書の話をする機会を与えられてからのことでした。私は5年ほど前から月に一度この施設の日曜礼拝で100人以上の視覚障害者に対して聖書の話をさせてもらっているのですが、この施設で私はたくさんの視覚障害者たちと本当に親しくなることができました。いったいなぜそれほどに親しくなることができたのか。それは、まさしく私が子供を亡くすという苦しみを体験したからでありました。視覚障害者たちは、多かれ少なかれ神様について疑問を持ち、神様との断絶を抱えています。なぜなら視覚が奪われたという決定的な体験のために手放しで神様のことを受け入れられないからです。私にはそのような彼らの気持ちがとてもよく理解できました。私自身も子供の死を通じて同じように神様への疑問を持ち、同じように神様との断絶を経験したことがあったからです。私がそのような疑問や断絶について話し、それをどのようにして乗り越えたかを話すと彼らは耳をそばだてるかのように熱心に話を聞きました。そして、次々に質問をしてきました。ある視覚障害者は私のもとへやってきてこう話しました。「ぼくは、神様があんまりひどいことをするんで、神様を叱り飛ばしたことがあるんですよ。『神様ひどいじゃないか。もっとしっかりしろ』と。こういうのはだめですかねえ。」私はこう答えました。「全然大丈夫ですよ。イエス様だって『なんで私を見放したんだ』って神様に文句を言ったんですから。」こう言うと彼は満足したように握手して帰っていきました。このような視覚障害者との対話をたくさん持つうちに私は本当に彼らと親しくなりました。そして彼らと親しくなるにつれて、彼らと共に神様以外に頼みとするものを持たないことの素晴らしさを学んでいったのでした。神様がうちの子供の命を奪ったもう一つの理由を示されたのはこのときです。私は彼らとともに過ごすうちに、神様が私の子供の命を奪ったのは私の心を彼らと同じくらい低くするためであると示されたのでした。もし子供を亡くさなかったら、私の心は上を目指すばかりで、少しも下のほうを向かなかったでしょう。ひたすらに強くなり、お金持ちになり、名誉を得ることを目指して生きていたことでしょう。当然、視覚障害者のような弱い人たちが抱える苦しみなんて少しも理解できなかったでしょう。子供を亡くすという経験があればこそ、私は多少なりとも彼らの苦しみを分かち合うことができた、そしてそのことを通して彼らと共に神様により頼むことの素晴らしさを学ぶことができたのです。神様はまさしく私の心を低くして、神様により頼むことの素晴らしさを教えるためにこそ子供の命をお奪いになった。そのことを神様は「東京光の家」での視覚障害者たちとの出会いを通して教えて下さった。これが神様が私に与えて下さった三つ目の応答です。 イエス様は言いました。「心の貧しいものは幸いである。天の国はその人たちのものである」と。あるいはこうも言いました。「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」と。この二つはどちらも同じことを言っているのだと思います。つまり、何も頼るべきものがない、神様に頼る以外にどうしようもないということが最高に幸せなのだと。私たち人間はこのイエス様の言葉を普通の状態では全く理解できません。普通の状態の私たちはひたすらに上を目指し、力やお金や名誉を手に入れることが幸福であると考えているからです。しかし、もし愛する人の死を体験するならば、私たちは根本的に変えられてしまいます。そして、真の幸福はそうしたものとはぜんぜん違うところにあるということを、つまり、自分の弱さを知り、弱い者たちの苦しみを分かち合い、ともに神にすがるところにこそ真の幸福があるということを教えられるのです。このことが示されることこそ、愛する人の死に苦しむ人間に対する神様の最大の応答なのではないでしょうか。 以上、愛する人の死に対する神様の三つの応答について話させていただきました。総じて、全知全能の神様は、死をなくしてしまうことによってではなく、死と正面から向き合わせることを通して私たちに最も大切なことをお教えになるのだと私は思います。 |