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06-1.第一分科会
共通テーマ 「私にとっての無教会」(名簿21~40)
記録:小舘 美彦 「活動があまりに多く、疲れた。自分たちだけで聖書の勉強をしようと思ったら、牧師から禁じられた。自由に聖書の勉強がしたいと思い、無教会の門をたたいた。」 「友達と共に興味半分で内村の講演会に参加し、席が満員だったことに驚いた。引き続き、内村の話を聞きたいと思ったが、生活が楽になると、他のほうへと関心が移ってしまった。しかし、何か苦しいことがあると、再び内村の話が聞きたくなった。信仰は、苦しみと共に成長していくと学んだ。」 「高橋先生の集会に通っていたが、先生の召天後教会へ通うようになった。洗礼を必ずしも必要と思わないので、洗礼は受けていない。教会に行ってみてわかったが、教会の信徒たちにはさほど深い交流はない。自由に聖書の内容や社会問題について話すことはほとんどない。」 「聖書の勉強を日課とするお店(十字屋)で働いている。妙高で行われた矢内原先生の集会に突然参加し、矢内原先生に注意されたが、謝るととても優しくしてくれた。以降聖書と真剣に向き合うようになった。」 「世界史の先生が無教会の人で、授業中に時折聖書の話をしてくれた。それがひどく心に残った。それで無教会の集会に通うようになった。聖書の勉強ができるということで、十字屋を無教会の先生から紹介していただき、そこに就職した。」 「現在無教会が低迷しているのは、弟子たちが先生に依存しすぎたからだと思う。もっと自立しなければと思い、仲間と集団指導体制の集会を立ち上げた。無教会は、聖書の言葉を大切にし、それを礼拝で学び、実生活で実践していくところに特徴があると思う。この特徴を大切にしていきたい。」 「リュウマチにかかって心身ともに苦しくなったが、そのときに教会の教えは何も役立たなかった。信仰を捨てようと思ったが、その前に一度無教会をのぞいてみようと思い、関根正雄先生の集会に出席した。しばらく通ううちに、先生の話と集会の仲間たちのおかげで、苦しみを克服することができた。このときから無教会の集会に連なっている。」 「同盟教団に属しているが、信仰の根は無教会的で、矢内原先生や畔上先生に導かれた。その縁で12年間独立学園に勤務し、最後の3年間は校長をさせていただいた。最近は洗礼について改めて考えさせられている。」 「教会員だったが、教会でいろいろな問題が起こり、それにうんざりして無教会の集会に出るようになった。」 「子供が癌で亡くなったのをきっかけとして、信仰に導かれた。妻の叔父が無教会だったので、彼の紹介で無教会の集会にかようようになった。幸か不幸か先生の影響をほとんど受けず、キリストのみに導かれて聖書を学んできた。」 |