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07.証-4
はかりなわは福島の地に ~原発事故から三年余 福島の農業は 大内 信一 プロフィール 聖書の中で 「神のはかりなわ」 ということばにたびたび出合う。 「はかりなわ」 とは、 むかし測量器具などが無かった時代に面積をはかる時に使ったヒモ (縄) を指す。 目盛りがついていて 「間なわ」 とも言われる。 もう一つは大工さんが建物の垂直をはかるために用いる 「さげふり」 と言われる道具のことも指し、 こちらはヒモの先におもりがついている。 いずれにしても 「神のはかりなわ」 は人間の意思を越えて、 われわれを各地に住まわせ、 土地を与え、 恵みも厳しき境遇も与える。 人はそれに対して不平不満をたくさん言う。 しかし神の側からすれば、 すべて公平にはかられていると信じられてきた歴史の流れがある。 今回の大震災、原発事故は人災といえども神のはかりなわが福島に落ちたのだと思わざるを得ない。 われわれ日本人が自由気ままに欲望の限りを尽くした結果、 そのおごり高ぶりに対する警告として原発事故を通して鉄槌を落とされたのであろう。 この福島の苦しみは、 日本が生活を改めつつ脱原発・再生可能エネルギーの道に方向転換していく契機になるのだろうと思い、 あまんじてこのはかりなわの苦しみを乗り越えようとしていたが、 その矢先に大飯原発の再稼働が決まった。 人間の目の前の豊さを維持しようと、 福島の苦悩が忘れ去られた。 もし仮に原発の安全が認められたといっても使用済核燃料の処理等、 原発を取り巻く難題が何一つ解決されていないのにである。 福島から多くの人が転出した。 悲しく寂しいことだが、 われわれはそれを止めることもできない。 また福島の地で安全な農産物を生産するなどナンセンスという声も聞こえてくる。 しかし神のはかりなわは留まる者にも転出する者にも平等に与えられているのだと思う。 どちらも厳しき道だが、 必ず恵みも共に与えられると信ずる。 厳しき境遇の中からでもしっかりと立ち上がる者がいる一方で、 誰が見てもよきはかりなわを与えられた者でも、 豊かさゆえに転落する者も多くある。 「はかりなわは私のために楽しい地に落ちた。 まことに私はよい嗣業 (しぎょう*注) を得た (詩編16章6節)」 この詩編の作者が言ったいにしえのことばをかみしめながら、 今日も野良に出る。 ふくしまの光と陰 (やみ) 夢 |