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06.第五分科会
「寄り添う心-東京サマリア会の経験を通して」
発題者 坂内宗男 出席者13名。7名の方がサマリア会の会員であった。ほとんどの方が活発に発言され、はじめに自己紹介をしたが、自己紹介の中で既にご自分の事、起こった出来事、それにどう対処したか?などを述べられたので、その発言の要旨を「自己紹介」を含めてまとめると、 中林憲一 私は次男ですから実家の墓守はしなくていいのですが、家内の両親のお墓が富士霊園にあってその墓を守るのが私たちの務めです。が、お墓の問題ではなく、最近、友人の1人が亡くなって、お子さんがないので、サマリア会に入会させていただき、お墓に入られた事と、集会の先生がご高齢なのでこの先どうしようかな?という事もあって、この分科会に参加させていただきました。 鶴田淑子 私は「寄り添う心」というテーマに惹かれて、この分科会を選びました。 佐々木洋子 私はサマリア会の趣旨に賛同して入れていただきました。そういう会の方たちと仲間になりたいと思って…。何もお手伝い出来ずにおりますのを申し訳なく思っております。 中尾幸恵 とてもいい会だと思い「これだ!私たちのための会だ!」と思い、入れていただきました。 斎藤具子 夫を説得して墓地会員にさせていただきました。父母が仏教で私たちがクリスチャンですから、いざという時に人に迷惑をかけたくない、お墓も同じ信仰を持った仲間と一緒がいいと思って、入れていただきました。 吉村 薫 サマリア会にはじめから入っておりますが、墓地会員ではありません。墓地は別にあります。 10月の墓前礼拝に行かせていただくのが、大切な私の目標になっております。素晴らしい会です。 井上博夫 サマリア会というのはお墓の事だと思っていました。今日の坂内さんのお話を聞いて、お墓の事だけじゃないということがよく分かりました。 中林憲一 私もサマリア会というのはお墓の問題を解決するものだと思っていました。でも今日のお話を聞いたりレジメを読んだりして、亡くなった後の事ももちろん大事だが、生きている間にむしろその時を迎えるまで「寄り添う心」を大切にしていこうという趣旨を改めて理解しました。 鶴田淑子 恩師に生涯独身を通され、教育に一生を捧げられた教会のクリスチャンの方がいらっしゃって高齢で亡くなられたのですが、教会に通えなくなっても、老人ホームの個室で牧師さんの説教を教会員と同じ時間に聞き、共に賛美歌を歌える、そういう設備が教会によって整えられているのを見まして、教会はそこまで、信者の心の問題に手を差し伸べるんだなあと思いました。 坂内宗男 関西に関西合同聖書集会共同墓地というのがあるが、それはお墓だけだと思う。東京サマリア会は、お墓の問題だけではなく、本当に必要な時、必要な手を差し伸べるという事が無教会には欠けているんじゃないか?という事で、あるべきエクレシアの姿を求めて設立されたものです。 相澤忠一 私はこの会の事をお墓のツームとクラスメイトのメイトをかけてツームメイト(墓仲間)というのですが、今日はサマリアメイトでしょうか? 私が坂内さんに「今これこれの相談に乗っているところです」と言うと「サマリア会やってますね」と言われる。サマリア会というのは、そういうものです。 伊東裕二郎 私の家は深川にある仏教のお寺に先祖代々の墓があって、私は9代目なので、お坊さんに仏式でお葬式をしていただかなくてはならないと思うので困っております。 永田千種 私の実家のお墓の事ですが、母は内村鑑三の直弟子で父は仏教哲学の専門家でした。それで、父が亡くなった時は仏教で葬式をしてお墓に入っております。母の時は無教会で式をしていただき、仏教の父とキリスト教の母は何の問題もなく、同じお墓に仲良く入っております。私は墓参りをする時、聖書を読んで、般若心経を唱えて帰ってきます。 阿部光成 永田さんのご実家のお墓はお寺ではないんですか?どういうお墓なのですか? 永田千種 鎌倉霊園です。 阿部光成 それならいいんですが、一番悩ましいのは伊東さんですね。深川にある先祖代々のお墓が禅宗のお墓なんですね?ご親戚の方の中にクリスチャンで入っている方はいらっしゃるんですか? 伊東裕二郎 一人いるんですが、戒名は入れていないんじゃないかと思います。 阿部光成 代々のお墓があって、そこへ入れなきゃならないとなると、キリスト教で葬式はしたけれど、お墓に入れる為に、もう1回仏教でお葬式をしなきゃいけないという事も出て来るんですよ。 斎藤具子 キリスト教横浜集会の荒木さんの事をお話したいと思います。今入院しておられるのですが、ご両親と妹さんご家族全員をサマリア会に入会手続きをされた直後の事で、彼はいい時期にいい事をされたなあと思います。 坂内宗男 少しご説明しますと、荒木さんは3年前に富士霊園に作ってあったお墓をサマリア会に移されたのです。娘さんが2人おられますが結婚していてお墓の世話が出来ないというのが理由です。 阿部光成 いつどんな形で最期が来るか分からないので、自分の決断力があるうちに決めておいた方がいいという事なんです。 永田千種 さっきは実家のお墓の事を言いましたが、私の夫の時は、夫の菩提寺が天台宗なんですが、私は1人で決めて、永田家の墓地の片隅にお墓を作り、夫を仏教で葬りました。 鶴田淑子 永田さんも、そこへ入られるのですか? 永田千種 もちろん、私も子供たちも面倒くさい事が嫌いですから、そうなると思います。 坂内宗男 書いたものを残しておられますか? 永田千種 書かなくても分かっていると思いますよ。 坂内宗男 ご自分で確信を持っておられるのは結構ですが、今までの経験では、家族はどうしていいか分からない。残された人の為に、書いたものをはっきり残しておいた方がいいという事なんです。 そういう意味でサマリア会ではこの度ライフ・ノ-ト(遺言ノ-ト)を作ったのです。 阿部光成 友寄さん沖縄ではどうなっているのですか?先祖のお墓に家族全員が入るのですか? 友寄隆房 沖縄の宗教は祖先崇拝です。私は兄弟の隆静の影響もあってクリスチャンになったのですが、沖縄では、正月、お盆とともに清明祭というのが三大行事で、親族一同、親兄弟子供孫が集まります。確かに祖先崇拝ですから、そういう時に墓参りの行事があるんです。私は、なかなか親族一同が集まるという機会がないので、そういう時に、自分の考えている事を話します。尊敬できる祖先のエピソードなども紹介したりしております。 お墓は各家のお墓があって、私の家も一昨年全国集会をした時ご案内した海洋博の近くにあります。私は土曜日に仕事が休みですから、1週間に1度ですが墓参りをします。クリスチャンは先祖を大切にしないなんて言われるが、私としてはそういうものを打ち破っていこうと考えています。 相澤忠一 最近40年くらい前の教え子の古稀の祝いの同級会に招かれて出席致しました。私はその席で、年齢的に死というものが視野に入っておりますので、「死をどうやって迎えるか?」「残された日々をどう生きるか?」という話をさせていただきました。それまでの日々を出来るだけ濃く「彼はこういう事を思って生きたんだなあ」という事が残るように生きたいと話しました。 反応が二つありました。一つはスマートフォンを開けて「私は家内と子供たち孫たち全員クリスチャンにしました」というものでした。それはエホバの証人(ものみの搭)だった。それで私の偏見はなくなった。イエス・キリストに対する考えは違う。でもそんなのはいい。今朝のお話のように違っていいんじゃないか?(注:聖書講話「共に生きるーマタイによる福音書を通して与えられることー」)お互いが違うままで共に生きる。そして死によって一つになる。世界の動きを見ていると、違いをどうやって乗り越えていくか?が重要なテーマである。自分が信じているものに世界性があるかどうか?が大切である。イエス様が言われた「汝の敵を愛せ」これが全てだと思った。 もう一つの反応 「私は先生の言われた事に刃向かうつもりはないが…」と言いながら刃向かってきた。私が言った言葉の意味を少し取り違えて「名を残す」なんてどうでもいい。明日は明日の事。人生とか死とかは考えない。今日だけでいい。明日の事は考えない。とニヒルな考えをぶつけてきた。彼は社会的には活躍した人だが、無理があったんだなあ、と思った。 阿部光成 時間がなくなりましたが、サマリア会はお墓の問題だけじゃないという事が分かっていただけて有意義でした。 |