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04.発題(1)-5
「寄り添う心ー東京サマリア会の経験を通して」 坂内 宗男
プロフィ-ル 私共準備委員会は、毎月一回集まっては打合せ会を持って来た訳ですが、5月当初の準備委員会で、集会解散後の信徒の在り方について、ケア-をする場を真剣に考える必要があるのではないか、と話題になり、「東京サマリア会はその為にあるのですが」といいましたら、「あれは共同墓地の会でしょう」となり、説明したら「じゃやって欲しい」といわれ今ここに立っている訳です。 会の発足発端は以下の通りなのですが、まず会の内容を述べますと、目的・活動は明確に規定されており、次の通りなのです。 1)会の内容 *「東京サマリア会支援活動規程」「東京サマリア会共同墓地管理運営規程」 ・内容 背景には今や高齢化により個々の信徒の様相も多様化し、定年退職後の転職、病気療 第二は現実の問題と必要性にあります。 またある無教会伝道者からは墓(形)に固着するのは無教会的ではない、と批判されたことがあります。我々の目指すのは唯愛のとりなし(寄り添う)の発露として為すことなのですが、最低限度、自分の死後については後世に迷惑をかけないよう配慮しておくのが愛の業ではないでしょうか。その意味で、私たちの共同墓地に、裸一貫でただ神に委ねて伝道に挺身された無教会伝道者3人(うち2人は子供のない方)を葬ることが出来ただけでも作ってよかったの思いで満たされます。我は天国に国籍あるので、この世では仏教式葬儀・墓地埋葬等何でもいいのか。ましてや何百万円も使っての墓地建立の必要性ありや?でありましょう。 共同墓地の発想は信仰的<粉骨式-土から生まれ土に帰る>、経済的理由のみならず、心の安らぎと共に毎年一回でも会員・近親者相集い墓前礼拝を行うことは、家族伝道の一端にも寄与するものとなりましょう。墓地とは?天と地の共同の祈りの場でもあります。そして、死をどうとらえるか?でありますが、主よリ与えられた生涯の総決算としての肉体の死と朽ちない衣をいだき、イエスとともに復活なる永遠の命にあずかる幸いにおいて死を考えたいものです。 さて、最も大事な対象者(会員問わず)の多くが家族の中の一人のキリスト者(無教会) である場合に、寄り添う必要性と困難性についてであります。私たちの活動において、墓地は目に見えた形として、無教会という組織のない集団であることから、法人や個人でないと墓地は売ってくれないため、10数年の歳月を経て完成したということがあったとしても実現出来たのでした。しかし、日常の窓口にあっては、相手のニ-ズなくば身動きできませんし、相談に応じたとしても、文字では表現できない(プライバシ-も伴って)難しさがあるということであります。本人の考え(要請)と多岐性、他方エゴイズムの露呈-プライバシ-と寄り添う面との兼ね合い等々複雑です。多くはそれで大半は費やし、表面には出ない事柄なのであります。 肝要なことは、あくまでも寄り添いに徹し、一人で請け負わぬ姿勢が大切(自滅の危険とマイナス)であり、かつ人的・物的資産の活用を計る工夫が求められましょう。要は寄り添う心、わかちあい(あるべきエクレシア)のいかんにおいて、会の将来を決めるかなめとなることは確かでありましょう。 願わくば、このようなエクレシアの会が各地に生まれ、横断的に更なるエクレシアとして支え合うものであることを祈って止みません。 |