07.証


「証」

早川 真

 僕は今回、この証しの場に出ようかとても悩んでいました。小舘元寮長に誘われたときは正直断ろうと思っていました。何を証してもいいかわからなかったからです。それで、このまま参加の申し込みをせず、うやむやにしようと思っていたところに、小舘知子さんから手紙が届きました。前回参加した冬季聖書集会の写真と一緒に、「証しは、引き受けてくださいますか?」と書かれた便箋が入っており、いよいよ返事をしなければならなくなりました。しかし、その時の僕の精神状態は非常に悪く、自分の信仰に疑問を抱き、日々の仕事に行くだけで精一杯でした。それで、返事ができないまま、苦しみながら過ごしていました。
イエス・キリストによる救いがどうしても実感できないことに自分の信仰の危機を感じていました。仕事場での人間関係にも行き詰まり、その日の仕事を終えては次の朝まで祈っては寝て、起きてはまた祈るといった状態でした。

 ある時、断食して祈りたいと思い、お昼に仕事が終わったあと家に帰り祈り始めました。
しかし夕方にもなると、お腹が減りすぎてどうにも我慢できなくなりラーメンを作って食べ、断食などとてもできるものではないと思いました。失意の中で聖書を読み、ひとつの箇所が目につきました。イザヤ書58節にこう書いてありました。
「そのようなものがわたしの選ぶ断食苦行の日であろうか。…私の選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて…飢えた人にあなたのパンを裂き与え…同胞に助けを惜しまないこと。」
この箇所を読んだとき、自分の祈りが聴かれない理由がわかったように思い、ひとつのことが頭に浮かびました。それは、以前、荒川沿いをジョギングしていたとき、目にしたホームレスの人のことでした。

 外は小雨が降っていましたが、コンビニのATMで給料日前に残った最後の三千円を引き出し、それを持って、以前ホームレスの人を見かけた場所まで急ぎ足で向かいました。向かう道中、神の御心なら必ずホームレスの人に出会うということだけを信じていました、しかし、以前見かけたあたりまで来ても見当たりません。橋を渡り、対岸の橋の下を探しましたが気配はなく、諦めかけて戻ろうとした時、街頭に照らされた積まれたゴミの中に人のような形が見えました。しばらく立ち止まり、信じられない気持ちで人かとうか見極めていると、ついに僅かに動いたのを確認しました。
 急に恐ろしくなり、傘をフェンスにかけ、心の中で神様を呼びながら近づいてきました。
「すみません」と声をかけたときすぐにその人は立ち上がり、唐突に差し出した僕の手の中にあるお金を見て当惑しながらもとりあえず受け取り、「お金…」とつぶやきました。そしてすぐ、「ボランティアか何かですか?」と聞かれました。僕は「いや、違います。」と言うのが精一杯で、何も言えないその人の顔を見上げていました。自分の状況を説明できずに、苦しげな僕を見てその人は、「別にお金がほしくてこんなことしてるわけじゃない」また、「こんなものもらってもしょうがないんだけど」といいながら責める様子は全くなく少し沈黙が続きました。お金に頼る生活を捨てて、自分の生き方を貫いているその人の前に、僕は本当に小さくなるしかありませんでした。やがて「いいんですか?」と言ってお金を受け取ってくれました。僕は最後に「もし必要なことがあれば使ってください。」と言い、逃げるようにその場を後にしました。家に帰った僕は、自分の罪の許しを実感したいがために祈りました。心の中に思い浮かぶ罪は、「僕は今まで自分以外のすべての人を、また神であられる、あなたをも自分のために利用してきました。」というものでした。心のどこを見回しても、これ以外のものは思い当たらず、今まで犯してきた罪はすべてこのことに原因があるように思いました。しかし、悔い改めの祈りが聴かれたという確信もなく、不安なままでまた朝を迎えました。

 翌日の仕事中の精神状態は最悪で、それを悟られまいと神経を尖らせ、いっそのこと仕事をみんな辞めて実家に帰りたい、と限界を感じていました。しかし、原因は僕の心の中にあり、クリスチャンである両親もこの問題だけはどうすることもできないだろうと思いました。なんとか仕事を終え、家に帰りしばらくすると母親から電話がかかってきました。「今、話していい?」と聞かれ、仕方なしに「いいよ。」と答えました。精神状態の悪いことを感じ取ってくれた母は日々の証を2つほどしてくれ、なんとか励まそうとしてくれました。そして「もうひとつだけ話していいか?」と聞かれたとき、ついに「そんな証やったらもう聞かれへん。」といい、堰を切ったように泣き出してしまいました。絶望の底にいる今の自分にとって、神様を信頼して助けられた日々の証は、苦しくて聞くに耐えなかったのです。

 小さいとき以来、親の前で泣いたことのなかった僕と一緒に母は同じように泣いてくれました。そして僕のプライドを察してくれたのか電話を切ろうとしました。僕は涙と嗚咽で出ない声で、必死に「切らんといて。」と頼みました。本当は誰かに打ち明けたいこの胸の苦しみを、悲しみを一緒に苦しみ、悲しんで欲しかったのです。僕はこの時、泣く者と共に泣くことのできる母の愛を実感しました。そして「時があるんや。」と何度も何度も繰り返してくれました。電話を切り、涙を拭いてしばらくして今度は父親から電話がかかってきました。
 父はこのことを母から聞いて、具体的な提案をしました。それは、今の仕事の一つを辞めることでした。その時、僕はアルバイトを二つ掛け持ちして生計を立てていましたが、その辛い方をやめ、一時家に帰ってくるように言われたのです。僕は、両親はいざとなったら回復するまで実家に呼び戻し、援助をしてくれる親だということを知っていました。だから、今までどれだけ辛い精神状態のときでも絶望せずやって来れたのだと思います。しかし、この提案を受けてもそれが本当の解決になると思えず、従う気になれませんでした。その後、信仰のことについて話しているうちに罪の問題になり、僕は「自分以外のすべての人を、また、神様をも自分の為に利用してきた。」と言い、自分の今までの人生はその罪で貫かれていると感じることを伝えました。すると父は「神様というお方は人間に利用されるようなお方じゃない、お前の信仰は間違っている。」と、はっきり言いました。生まれて初めて信仰の間違いをはっきり指摘され、戸惑い、それでも「信仰というものはこういうもののはずだ。」と腑に落ちないように訴える僕に、思い出したように父は言いました。「お前は昔から、いい子やったけど頑固やった。従順に聞き従うことができなかった。お前の罪はその頑なさ、頑迷なところや。その罪を悔い改めなあかん。」僕は不思議なほど説得力を持って迫ってくる父の言葉を呆然として聞いていました。今まで頑固と言われたことは度々ありましたが、それが悪いことだとは少しも思わず、まして罪だと指摘されるなど夢にも思いませんでした。しかし、父と話すうちに自分がいかに頑固で、それゆえに傲慢であるかを思い知らされていきました。そして、父の言うとおり辛い方の仕事を辞める約束をしました。

 電話を切り、すぐにアルバイト先の社員に電話をしました。以前仕事中に精神状態を崩し、理解のある態度を示して下さったその人は、僕の話を聞いて、「今うちが人不足で大変な状態にあることは知っていると思うが、そういうことなら仕方がない。いつ辞めたいか。」と聞かれました。僕は今まで、キリのいいところまで働かず仕事を辞めたことは一度もなく、それを誇りにしていたのですが、先ほどの電話で父に言われたことがもう一つありました。それは、「いいカッコをする。」という、僕のプライドの高さについての指摘でした。

 「本当は弱く、情けない自分の姿を隠し、自分のスタイルを決め、それを貫くことによって自分を守っている。」という、一番触れられたくない部分を認めざるをえませんでした。
僕は、「言いにくいですが…」と言いながら明日から辞めたいと伝えました。すると、了解して下さり、その日のうちに仕事を辞めることが出来ました。翌日、借りていた制服を会社に送り、実家に帰りました。その間に、苦しみの中で返信のできなかった6件ほどの連絡をみんな返すことができ、今回のお誘いもその内の一つでした。

 罪を示されてから3日目の夜、両親とともに食事の前に祈ったとき、涙で祈りを中断せざるを得なくなりました。今までの自分の間違いだらけの信仰を認め、それでも真剣に神に希望を持って歩んできたことを思ったとき、理屈を超えた涙が溢れてきました。それはきっと悔い改めの涙であり、神様への感謝の涙だったと思います。今は自分の罪を知り、その罪の後始末をする期間だと思っています。神と人の前に許しを請い、人生の方向を転換するためにイエス・キリストが十字架にかかってくださったと信じて歩みたいと思います。