10.第五分科会
「農業-自然と人を結ぶ」
司会 多田 義国
記録 浅井 慎也
第5分科会は、参加者14名により行われました。
讃美と司会者のお祈りの後、各人が2分程度、石澤重吉さん、渡邊荘吉さんの発題に関する、感想、質問を述べ合う時間が持たれました。
以下は、その中の主な発言です。
・渡邊さんから大地を大切に守る重要性を教えられた。石澤さんから信仰を持って真実に生きる事の大切さを教えられた。そこからしか、安全と汚染の問題の解決の道はないという事を思った。
・地震が起きた時、山形に軽油やガソリンが全く入って来なかった。若い世代はトラクターでなければ農業ができないと言っていたが、石澤さんと同じ年代の義理の父は、昔ながらの農法をやってきた世代なので、動じていなかった。若い世代はひ弱であり、石澤さんの同年代の方からもっと多くを学ばなければならないと考えた。
同じ農業をするものとして、日曜の礼拝を守るという石澤さんの真実な姿勢に大変感銘を受け、遠くからやってきてよかったと思った。
・去年、日本の愛農会の方と韓国から聖農会の方が会を持たれ、創設者の小谷純一先生の思い、韓国での正農会の方の働きが心を一つにし、この問題に取り組んでいる姿に麗しく感謝で、これからの道が開かれる事を心からお祈りしました。
・自分で食べるだけの農作物は作っているが、お金にはしていない。化学肥料は全く使っていない。そのようにして作った作物はとてもおいしい。買ったものは、味も匂いもない。書物などにより農業を研究している。お金に替えている人は、化学肥料をたくさん使っている。商品にする過程は、とても、大変であるのを見ている。農業は聖書に適った、神様の道、おいしい作物ができたら感謝。神様の道を経験できている。
・母の介護をはじめてから、農業に関わる。父や兄が、他とは違う、立派な野菜を作っていた。自分自身は、EM菌を使い、全て肥料は有機のコメ、糠、魚骨、糞などをブレンドし発酵させるという方法で、自作している。とてもよいものなので、他の人にもあげたくなる。
・息子は、独立学園。大学の時、愛農の大学講座に行った。千葉の方で最初は無農薬でやっている農家に研修生として入る。それから独立したいと福島に行った。不思議な縁で、二本松で農業を始め、これから独立できるかなという時に大震災にあった。色々あったが、結局は二本松にまた戻った。農業をする事がどうしてもできなくなり、農協の臨時職員となった。
・真実に生きると、この世的によいことはないことが多いというお話が心に残った。
・アレルギーの子供が年々増えている。農薬との関連があるのではないか。
・実家が専業農家、子供の頃、休みの日も農業の手伝い。農業は嫌だと、上京し、就職したが、あわなく半年で実家に戻り、また、農業を手伝う。27までは農業をした。現金収入は少ないので、夏場は別荘の管理などで現金収入を得る。農業をしている兄の子供3人は農業の道を進まず、工業、建築などの道を選ぶ。妹は農業を継いでいるが現金収入は、農協に勤めて得ている。
・義姉の妹の夫が、有機農業、養鶏をやっている。玄米を送ってくる。子供にはよいものを食べさせられていない。有機作物は高く、安い他の品物に、どうしても目がいってしまう。
・家計は1000年をたどれる農家。子供の頃は、田植えの時期は学校が休みになり、手伝うように言われた。農薬、汚染物質という問題以上に、アメリカの資本、日本の農政などの体制などに、深く関係していると思った。TPPなど、先祖が作り上げたものを台無しにするような事を日本人がやろうとしている事を、おそれている。
田んぼは一回壊すと100年戻らない。自然と共生する生き方へ変換する事、内村鑑三のデンマルク国の話などの世界に日本も戻るべきではないか。
・中学時代まで北海道で林業、農業を手伝う。その後、農業とは関係しない。学生時代からリュウマチになり、左の方に弱みがあり、農作業ができない。重症心身障害児・者の施設で働いている。寝たきりで食べられない。誤嚥性肺炎を繰り返すと、チューブを通して栄養を取る。チューブの利用によって、今まで、生きる事ができなかった人が生きられるようになったが、その生き方は味のない生き方である。口で食べられることがとても有難いことを思う。施設の人を通して、食べ物、農業はとても大事であると感じる。
日本人のエビの消費が、タイの水産業が大きな影響を与える。マグロに関しても、日本人の食が世界に影響を与える。日本の食生活はよくなく、特に油はよくない油を使っている。アレルギーのもとになっている。人間の命と関わる食べ物という視点から、感銘深く今日のお話を聞いた。
・エネルギーの観点から考えても、日本で食べるものを外国で作って持ってくるのは、悪い。一方、都会で働く若い世代は、農業では生活をできないと思っているので農業をする人は、増えないのでは。本当に農業で暮らせるかを知りたい。
・福島から5万人の人が県外に避難した。県内県外含めて、約15万の人が故郷を追われて避難している。それで、原発近くの人たちが我々の中通り郡山とか会津の方に避難している。逆に、郡山の市街地に住んでいる人達が、子供達が心配で、自主避難している。避難命令ではなく自主避難で県外に移住している人が多い。5万人位いる。現在は、放射線の数字的に言ったら、避難しなくて、帰ってもよい数字。やはり、心配だと言ってる人にこれくらいなら大丈夫だという説得は効かない。子供の将来の事を心配すれば、際限がない。別の見方をすれば、避難する事により家族が離れ離れになり、経済に負担がかかり、この事の方が健康に悪いと主張する人もいるが、説得しても帰ってくる状態ではない。
・事故直後は20マイクロシーベルトあったが、今は、0.2~0.3マイクロシーベルトに下がっている。川内村は原発村があったところだが、そこは割合近いが、郡山よりも放射線が低い。村長が、戻っても良いという宣言をしたが、戻った人は、人口は2800人くらいだった内、200人くらい。戻ったのは、役場の人、学校の先生たち。若い人たちは川内村の良いところであった自然に、触れられないので帰らない。街では、病院などが近くにあり、便利であり、川内村には帰りたくないと考える。原発は、人間相互の不信感などいろいろな問題を起こしている。
・被爆の問題は、結婚などに問題がでてくる。
・広島の原爆でも問題が起きた。私の従兄弟も奇形、がんができている。証明のしようがない。データはアメリカのABCCがアメリカへ持って帰っているので。
・遺伝子の問題を考えると、原発の問題を簡単に集結宣言とはいかないのでは。
・世界の食料の1/3が捨てられている。問題になっているのは、食料が捨てられること。
・我々が意識をしないところで大企業がどんどん、自分の利益の為に開発して使っている。エビが東南アジアで原因不明の病気で不足している。我々の食が輸入されているものであり、向こうの農民、漁民を結果的に痛めているという事をおっしゃる方が多い。日本が日本食を文化遺産とするならば、食材を日本で生産するべき。プランテーションなどで食物を大量生産してお金に変える事は現地の人を潰すことになる。各国での長い歴史、文化がある。大企業のやり方ではなく、根本に立ち、各国、各地域の食文化を改めて考えるべき。
・最近の説教から、
地球上における食料供給力は行き詰まっているのでしょうか、ひょっとしたらまだ神によって定められている、私たちの生活手段はまだまだたくさんあるのではないでしょうか。
必要な物資が足りないということよりも、わたしたちの精神の卑しさ、低俗さ、乏しさにあるのではないでしょうか。
神が地のものの為に備えてくださっている賜物を、正しく配分する事を妨げている私たちの所有欲、物欲こそ問題ではないでしょうか。私達は手に入れる財産の量が多ければ多いほど豊かになるという強迫観念にあります。
しかし聖霊は私達を、そのような強迫観年から自由にして下さり、受ける事より与える事に幸福がある事を教えてくださるのではないでしょうか。
使徒言行録20:35「あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」をひいて語ってくださった。
・昔はあって、今はない、色々な食べ物がたくさんあるように思う。昔から食べていたものを食べたら、アレルギーが少なくなるのではないだろうか。
・昔は、山に芝刈りにいき、それで、食事、風呂をしていた。それがガスにかわった。昔は、山は綺麗だったが、今は入れない。ジャングル状態。
ガスを使用し、時間を短縮して、その分、働き、お金に変えるというスタイルになっている。山で暮らすことは不便であるが豊かな生活であると思う。田舎で生活できることを発信していただけたら、有難いと個人的に思う。
書記所感
食の安全性の問題の根源も私の心にある貪欲、むさぼりという罪である事を知った。所有欲、物欲も際限がなく、それが様々な問題となり、我々を含む全生命体を苦しめ、その子孫に渡っても苦しめ続ける事になる。受けるより、与える方が幸いと、我々を導いて下さる神様に委ね導いて頂く事に問題の解決があるように思わされた。