10.第四分科会
「伝道と家庭集会」
発題者 宮田 咲子
司会者 西澤 正文
書記 鶴田 淑子
出席者13名。開会の祈りの後、自己紹介(各1分)。当日配布資料の参加者名簿に簡単な自己紹介が載っているので、それを参照しながらコメントを付け足す形で行った。
13名中、8名の方が集会の主宰者、または先達の始めた集会を引き継ぐ形で責任者となっている方、出版物配布などによって自ら伝道を続けておられる方などで、伝道に携わっておられる方々であった。
その他2名の方は夫の主宰する集会をサポートしておられる方、1名の方は牧師志望の方であった。
始めに司会者から、発題者宮田咲子さんへの質問や感想があればそれを言っていただいて、その後この分科会を選んだ理由や、日頃考えている事などを自由に発言していただきたいというお話があった。
話し合いを進めていくうちに①宮田咲子さんへの質問と感想②集会のあり方(今後どんな形で集会を持っていったらいいのか?)③伝道とはどういうものか?の3点に議論が集約されていった。
発言要旨
宮田さんへの質問、感想
○今朝の話の中で宮田さんは、月曜はイザヤ書、水曜はテープ(徳島から送っていただいたもの)、金曜は聖書の通読という形で始めたとおっしゃったが、聖書をどのようにして読んでおられるのでしょうか?注解書を頼りに読み始めたのですか?
○宮田さんは、生活の全てを家庭集会にかけている「家庭をささげている」と言われたが「家庭をささげる」ということは実は大変なことで、家族の理解と協力なしにはとても出来ないと思われる。ご主人の理解と協力はどのようにして得られたのでしょうか?
それに対して宮田さんの答は◇
◇基本的には聖書をくり返し読む。分からないことやもっと深く知りたいことは、注解書や聖書講解などを用いて学ぶ。集会の一人一人が、自分で聖書を読めるようになるのが目標。
◇主人は、はじめはクリスチャンではなかったけれど、吉村さんから送っていただいた冊子を読んだりしているうちに、いつの間にかクリスチャンになり、喜んで協力してくれる。一番大変なのは子供たちの方で、狭いマンションなのにLDKを占領されてしまうので、工夫して子供たちの日曜学校を先にして、その後で大人の集会をしている。子供たちは別室でおとなしくしていてくれた。今はもう大きくなったので、出て行ったりするが、よく協力してくれていると思う。
○マンションの集会で問題はなかったのですか?私の経験したことですが、マンションの持ち主が変 わると、ここで集会はしないでくれと言われ、やむなく断念したことがある。
◇玄関に御言葉が貼られたりしているので、何かやっているな、という感じは持っているだろうけれど、特に注意されたことはない。)
集会のあり方について(無教会は今後、どんな形で集会を持っていったらいいのか?)
○一緒に聖書を読みたいという人がいれば2人で始めるというのがいいんじゃないか。とにかく聖書を読むことから始める。注解書を読むのではなく…。黒崎先生の注解書のはじめには「自分で聖書を読みなさい。自分で読んで感激しないと人と分かち合うことはできない」という意味の事が書いてある。「やむを得ない時だけ注解書を読みなさい」とハッキリ書いてある。
○伝道にはエネルギーが要る。注解書の伝道では伝わらないことが多い。調べたことを研究発表するのでは伝わらない。伝わるという確信を持って伝えなくては…。伝えようとする気持ちが大切。
○はじめは学生に聖書を説く式にやっていたが、5、6年前にそれをやめ、一緒に聖書から「聴く」という方法でやっている。聖書から何を学ぶか?分からなかったら置いておけばいい。そのうち分かるようになる。昔の人は、聖書を暗記するように全部覚えていた。聖書の言葉がすらすら出てきた。まず聖書を読む。それが基本。
○聖書から受けた喜びを相手に伝える時、相手の立場とか相手のcontentsをしっかりとらえて伝えていく事が必要だと思う。publicとpersonal公と個人の両方に語りかける。相手を無視して一方的にしゃべるというのはよくない。
○伝道集会をする、講演をする、というのと日常の礼拝をするというのとでは違うと思う。日常の集会では、聖書に基づいてというのが大切。それと講演会とは違う。
○伝道の行為は同じだが、伝道の場は違う。大人数と小グループの集会との違いもある。
○聖書を講義するのではなくて、聖書から聞いたこと、心にひびいたことを話すというのはいい。
○1人で礼拝している時、どうしても一緒に礼拝する人がほしいと思ったのが家庭集会の原点だという話。はじめから家庭集会をしようと思って始めた訳ではないという宮田さんの話が心に残った。
○今の無教会で一番足りないのは宮田さんのような家庭集会なのだと思う。建物の中で行われている集会では、1対1で話すなんて事はとても出来ない。公の場では、時間が来ると追い出されるし、会場を予約しようとしても取れなかったり、場所を確保するだけでも大変。場所と人が必要だ。
(家庭と宮田さんのような人─心の中に燃えるものを持っている人、それがあふれ出てくる人)
伝道とはどういうものか?
○私自身の経験から、福音が私の心の中に入ってきたのは1対1の話し合いの場の体験からなので、宮田さんのような集会は羨ましい。伝道集会ということを考えなくても、自然に伝道が出来てしまう。聖書を中心に話すのもいいのだけれど、お互いにその箇所をどう思うか真剣に話す中で生まれてくるものがあると思う。
○聖書から何かを「聴く」時、同時にテープを聞いたり、CDを聞いたりするが、よく心にしみて分かる場合と違和感がある場合とがある。教える人によって伝わり方が違う。伝道にも、やっぱり、教える人との相性はあるんじゃないか?
○それと家庭集会の成果というか?影響についてですが、家庭集会で子供たちに教えても、必ずしも全員がキリストに来る訳じゃない。聖霊の働きかけがなくては。主に招かれるのを待つという姿 勢で種を播かなければならない。
○お子さんが亡くなる前にクリスチャンになったという話をしてくださった方があり、希望を持った。
○集会をするには、聖書をきちんと読んで理解している人がいなくてはならないと思うが、無教会は1人1人がそうなのだから羨ましい。(教会の方)
○いや、今はそれは逆で、司会をやる人も不足しているような状態。集会に出てくるまで聖書を開か ない人が多いような気がして情けない思いをしている。
○集会に来るだけでいいんじゃないか?来なくなったらおしまいだけれど。来て、神様と向き合う機会を持つという事が出来ている間は希望があるのではないか?
○雰囲気がいいから来るというのだってあると思う。
○集会に毎回出席できるのは1人。その他1人お出でになればいい方で、後は月に1回とか多くても5人くらいという集会なので、毎週テープを送ったり「○○便り」というものを出したりしている。吉村さんは「はこ舟」(注:今は「いのちの水」)宮田さんは「福音」を出して伝道しておられる。
○たった2、3行でも伝えようとすれば伝わる。それを神様が用いられることがある。
○伝道する仕事をしようと思ったが、しようと思ってできるものではなく、神様の働きなのだと思った。(牧師志望の青年)
○1人で勉強して神様に祈り、祈りの中で御言葉を受けて語る。誰かの書いたものを参照して並べるのではなく、信じている事を語る。そして足を運ぶ。それが伝道だと思う。