高原 聡
今回はじめて全国集会に参加できました。実行委員会の方々には大変お世話になり、お陰様ですばらしい二日間をおくることができ感謝でした。3つのことを話します。
一つ目は、青年の集いに、ちょっと年齢オーバーだと思いつつ参加することができたことです。仕事のこと、信仰のことについて、若い方々がどのような考えを持っておられるかを聞き、新鮮でした。自分の生涯の仕事をどこに見出すかということでは、昔の私自身のことを懐かしく思い起こしました。
二つ目は、分科会で、福島の原発事故について話し合ったことです。内村鑑三は、「死魚は流れのままに流されるが、活魚は流れに逆らって泳ぐ」といいました。しかし残念ながら、福島と沖縄の構造は同根である等の意見は出ましたが、こうすればまちが復興するというような積極的な意見は出てきませんでした。原発近くの自治体も本心では離れたい気持ちのようで、原子力事故の厳しさを再認識しました。
三つ目は、「お話」について思ったことです。この全国集会では、たくさんの「お話」を伺いました。普通「話」は、語り手から聴衆に対して、何かの情報を伝えることですが、信仰のお話は逆向きではないかと思いました。今回私は、「お話」の中で、私の心の声を聞いてもらっているという体験をしました。聖書の中には、例えば、「生まれつきの盲人をいやす」(ヨハネ伝9章)のところでは、あなたが盲人であるのは、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」と書いてあります。これは、本人の心の中にある悩み、苦しみを、イエス・キリストが聞いて応答されたことばではなかったでしょうか。同じように、私は、「お話」を伺いながら、心の中にある、悩み、苦しみ、問題、葛藤を聞かれ、そのことを理解されて、「あなたの大変さはよくわかった、がんばるように」という励ましの声をかけられたように感じました。無教会とは何かという問いがありますが、私たちの歩みはこのような営みをしていくことではないかと思いました。ありがとうございました。