09.発題(2)
「農業-自然と人を結ぶ:福島から」
石沢 重吉
福島県郡山市からまいりました石沢と申します。東日本大震災に伴う福島原子力発電所の事故発生当初は、東京のレストランで福島弁で話していたら出て行ってくれと言われたり,福島ナンバーの車は駐車場に入ることを断られたことがあったと伝えられております。事故から2年余過ぎてこのようなことは昔話風になりましたが、福島県の農産物に対する拒否反応はまだ続いております。
政府や電力関係者にとって原発事故は想定外のことだったので、住民の避難方法は勿論、農地の汚染や農産物の安全に関する適切な対処を指導できる機関は全くありませんでした。農産物の放射線を計測する機器そのものが少なく、手探りの中で県知事が福島県の農産物の安全宣言をし,その後高濃度汚染の米が見つかったことで福島県の農産物の信頼が失墜してしまいました。
その後計測機器の充実と農地の除染と除染資材の散布によって特別な地区を除いて、福島県の農産物だから数字が高いということは無くなってきていると思います。しかし数字が低くなったことだけで信頼は回復せず、信頼は数字で表せるものでは無いことを知らされております。
私が愛農会創始者小谷純一先生に出会ったのは1954年のことです。戦後の混乱期で特に食糧が不足しアメリカからの援助でどうにか国民は飢えを忍んでいる時代でした。 和歌山県からはるばる郡山市に来られ愛農救国運動論を熱烈に話されました。しかし記憶に残ったのは乳と蜜の流れる豊かな家作り村作りの話でした。もっと詳しく学びたい者は愛農会に来いと言われ、胸躍らして臨んだ愛農短期大学講座におけるは小谷先生の第一声は、聖書を高く掲げ『君たちをここに呼び集めたのはこの聖書に記されている神様である』と言われました。
新生日本は信仰を持った真実に生きる農民によって築かれると話され大きな衝撃を受けました。そのような神様を私は知らないとつぶやきましたが、それから58年この言葉を反芻する度に、いかに真実な言葉であったかを噛みしめながら歩む毎日になりました。 特に「主なる神は,土の塵で人を形作り、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者になった」と創世記に記されている。その土の塵が農薬や化学物質で汚染されていると人は健康になれない。愛農会は無農薬栽培で行こうと宣言されました。 ヘリコプターで農薬が散布され、日本農業も近代化され厳しい農作業から解放されるのかと期待されかけたときのことでした。このことで愛農会を離れる会員が多くおりましたが、農業者は農薬や化学物質の汚染から農地を守りより安全な食べ物を生産することが第一であり、真実に向き合って生きる農民として無農薬栽培は当然なことであると信じ、理解ある消費者に支えられ取り組んでまいりました。しかしこの度の原発事故により放射性物質に農地が汚染され、生産した食べ物が消費者に信頼されない先の見えない厳しい状態が続いております。
避難指示地区を除いて福島県の現在の環境や生産された食べ物に含まれている放射性物質の数値では健康に問題はないと言われておりますが、心理的恐怖感は数字の問題ではありません。福島に住むことの不安を感じ県外に5万人の方が避難されております。経済的負担や精神的ストレスの大きさは計り知れないものがあると思いますが、この方々が帰郷されるようにならなければ福島の未来は無いと思います。それまで私達農業者はあきらめずに安心して食べられる野菜や米を生産できる農地を守って行く責任があると考えます。 東日本大震災と原発事故が発生して私達はいかに目先の繁栄のみを求めてきたかを知らされました。しかし今進められている復旧復興は被災地や被災者を置き去りにしてパアフォーマンスだけが目立ち喉元過ぎて熱さを忘れているのが現状です。原発が無くなったら代替エネルギーはどうするかというようなことで無く、地球人類の将来を考えて取り組まないと私達は又同じ災害に襲われると思います。
最後になりましたが、この度の被災に対しまして多くの皆様からあたたかい励ましと,貴重なご支援頂きましたこと深く感謝申し上げます。ありがとうございました。
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