11.沖縄より
「沖縄の怒りと悲しみ」
石原 艶子
2012年、無教会全国集会in沖縄において、参加者の皆様が沖縄の差別と受難の歴史に深く連帯して、祈りを合わせて下さったことは、無教会の歴史の1ページに記録される意義深いことであったと思います。そして2013年の今日、こうしてもうひとたび、沖縄のことを一人一人が自分達自身の問題として捉えなおし連帯して下さるために、私ごとき者を呼んで下さいましたことに、畏れつつ心からの感謝を申し上げます。私は沖縄の現状と、そこからくる怒りや悲しみをお話して、平和への切なる祈りを合わせる時としたいと心から願っています。沖縄の怒りと悲しみの根底にあるものは、すべて沖縄地上戦の体験にあると私は思っています。住民を巻き込んだ地獄の地上戦を体験した人々の悲しみと、死者の魂の叫びが根底にあることを忘れないで下さい。
去る4月28日、日本政府は主権回復の日として式典を開催しましたが、沖縄にとっては、この日は「切り捨てられ、差別され、捨て石にされた屈辱の日」でありました。1万人余の人々が集まり抗議大会が開かれました。この屈辱は現在進行形であって、今日も続く無数の暴力差別、制度的な不条理に対する抗議でもありました。 戦後68年経った現在も変わらない構造的差別(不条理)の根底に、天皇メッセージが存在したことを日本人は知っているでしょうか。1947年、昭和天皇の「沖縄を50年、それ以上の占領を許す」という言葉をもって、沖縄は捨て石とされたのです。この天皇メッセージが、沖縄を解放できない問題の根底にあるように思えてなりません。まさに天皇制の問題であります。
沖縄では精神病が多いと言われていますが、そのことにも沖縄戦が深く影響していると思います。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の発症リスクが非常に高いのは、現在も米軍基地が存在することで記憶が忘れさせず、トラウマとなっているからです。オスプレイが配備されたことで、「オスプレイが怖い」と語る高齢者が増えているそうです。 最近沖縄のサッカー場の地中から、ベトナム戦争時の枯葉剤入りのドラム缶と思われるものが発見され、大量のダイオキシンが検出されて大問題となりました。基地の環境汚染の実態は把握されていませんが、環境に与える影響は深刻なものがあると思います。また今もなお、不発弾や遺骨が見つかり続けています。昨年9月9日、オスプレイ反対の県民大会に10万人が結集しました。しかし、県民の抗議は全て無視され、10月には12機が配備されてしまいました。今年8月5日、HH60ヘリコプターが基地内で墜落事故を起こしました。その原因も究明されないうちに、新たに12機のオスプレイが普天間基地に配備され、24機となりました。私達は心で泣きながら、道路の中央分線に座り込み、アメリカのYナンバーの車の前に立ちはだかって抗議の行動をしました。
安倍総理は「負担軽減をします。沖縄の人々に寄り添って参ります」と、現実と全く逆のことを平気で県民の前で語りました。その白々しさは、嘘をつくことが政治家であることを自ら証明するものでした。 私達キリスト者は独自の抗議活動として、毎週月曜日の夕方6~7時、普天間基地の野嵩ゲート前にてゴスペルを歌い、御言葉を読み、祈り続ける行動をしています。意に反して海兵隊員となったアメリカの底辺の青年達の上をも思い、祈ります。参議院選挙が自民党勝利で終った翌日7月22日の、それも夜に、ゲート前のり面に鉄柵のフェンスが造られました。明らかに弾圧です。私達の非暴力の抗議活動を、アメリカ軍と日本政府が恐れていることの表れかもしれません。私達は歩道の両端に立って、今まで通りに讃美歌を歌い祈っています。造られたフェンスには、横断幕を張って利用しております。
日本政府には、沖縄県民という生きた人間の存在は眼中にないようです。あるものはただ、日米合意の辺野古新基地建設の実行あるのみであります。県民の反対が県知事の判断に影響を与え、辺野古新基地が実現しないことをのみ最も恐れているのです。ヤンバルの森の高江ではオスプレイのためのヘリパットが7基地造られつつあります。住民の必死の抗議行動が、すでに7年も続いています。映画「標的の村」を是非観て下さい。 辺野古テント村は平和の拠点となって、日本全国に、世界に向けて、新基地ノーを発信し、連帯の輪は日本中の平和を希求する人々に、隣国韓国をはじめアメリカの人々にも広がっています。テント村の存在意味は非常に大きいと思います。何といっても、17年も新基地建設を阻止してきたのですから。然し、今最大の危機を迎えています。 私達日本人は、平和憲法という宝ものを神様から頂きました。この憲法を世界の憲法とする使命を託されているのだと思います。この宝ものを日本人自らが捨てる時に、日本という国に平和な未来はありません。
沖縄では地上戦によって県民の4人に1人が命を失いました。ベトナム戦争、イラク、アフガン戦争と、沖縄が加害の地として利用されることにも耐えられないのです。 沖縄の怒りと悲しみは、原発事故の被災地の人々の心と、広島、長崎の被爆者の人々の心とひとつであります。核の平和利用など、あり得ないことです。核廃絶をこそ、共に連帯して祈求していきましょう。 これから皆さんと共に歌う命(ヌチ)どぅ宝の歌は、自分の命を大切にするように隣人の命を大切にする、隣人愛の実践者になるという思想と神観が込められている歌です。この歌を皆様と共に、平和への祈りとして、ひとつの決意(決断)として共に歌いたいと思います。「相手が直面している問題を自分自身の課題とすること」、これこそ自分とキリストとの関係から生まれる生き方であり、無教会精神だと思うのです。
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