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10.証-3
「無教会全国集会2011」に参加して
参加者代表 那覇聖研 石原 つや子
私は全国集会への参加は二回目であります。もともと多人数が集まる「全国」と名のつくものはあまり好きではなかったことと、無教会といえばインテリのすごい人達ばかりが集まっているというイメージが強く、敬遠していたのです。ただ一回だけ、徳島の集会に惹かれて参加したのが初めてでした。 そんな私が、こんなに大勢の参加者の中から何故ここに立っているのか全く不思議なことであります。出発直前に坂内さんから、「お願いしますよ」とのお電話を頂きました。「大勢の参加者なのですから、何も私でなくても」と申し上げましたら、「それがいないのですよ」とのお返事。結局、坂内さんのあの独特の「お願いしますよ」の言葉に負けて、「すべては主のお導き」と思い、「はい」とお返事して、今私はここに立っております。 私の前に講壇に立って下さった村上真平さんは、愛農学園時代からの深いつながりを持った友人であります。被災者となられた真平さんの真実な言葉の前に胸をつかれ、私は自分の語る言葉を失ってしまいました。真平さんとこうして同じ場所に立っているというこの現実こそは、神様の現実であって、神が私を呼んで下さったのだということがわかりました。 今回の集会は「希望の根拠」という主題の下に、まず初めに関根先生が、生きて働き給うイエス・キリスト、再臨し給うキリストを明確に希望の根拠として示して下さいました。このキリストがこの集会の中心におられて、最後まで祈りと賛美があったことが一番良かったと思います。 吉原先生のお話も、放射能の恐怖におびえ避難している子ども達を思って、何とかして呼び戻してあげたい、そのために役に立ちたいという熱い愛の思いを感じました。どんなことも愛から出ないことは空しいことだと思います。放射能については、低レベルでは問題がないとか、専門家の間でも意見が分かれていることをこの集会で論じても意味がないと思います。それよりも第一義なることは、起きてはならないことが起きてしまっているこの現実、この事実を直視して罪の実体を知り、神様は何を私達に語っておられるのか、神様の御声を聴くことこそがこの集会のなすべきことであり、意味だと思うのです。 内坂先生のお話を通して、人間は人間であって実に誤りやすい存在であること、原理主義に陥りやすいこと、教義ではなく十字架のリアリティーを受け止めること、神の現実という視点を示されました。生きた命なるキリストにつなげて頂いて感謝でした。 私達は何故、毎年「無教会全国集会」をもつのでしょうか。その意味について考えさせられました。無教会は○○先生の集会というように、各集会が個性的であって独立しています。かつては先生中心主義だと批判されたこともあった程で、縦の関係が強く、集会相互の横の交わりは少なかったと思います。こうした全国集会を通して、横のつながりを深める機会となること、無教会とは何なのかを問い直し、原点に帰り、無教会の役割を確認し合う時としての意味があると思います。 私にとっての無教会とは、いっさいの枠組を打ち破って罪人なる私達一人一人と出会って下さる、イエス・キリストの命そのものなのです。戦争を繰り返してきた宗教の歴史、そこにある宗教的原理主義とは違うものだと思います。 そしてキリストは今、最も苦しんでいる人に寄りそって、そこに居て下さると信じます。被災した人々、肉親、友人を失った人々、放射能のために避難している人々、農業ができなくなって土地を離れた人々、原発の中で働いている作業員の方々、そして村上真平さんが語って下さった旱魃(かんばつ)で苦しんでいるアフリカの人々(この旱魃は先進国、すなわち私達が森林を伐採したために起きたのです)、イラク、アフガニスタンなど、戦争のため理不尽な苦難の中にいる人々、今キリストはこのような人たちの所に居られて、涙を流し祈っておられます。 すべてが滅びたとしても、決して滅びることのないイエス・キリストが共に居られ、「わたしは昨日も今日も永遠に汝らと共に居る」とおっしゃっているのです。この希望の根拠に寄り頼みつつ、私達は己の無力を嘆かずに、ひとつでもキリストのお心に沿うことを行っていきましょう。たとえそれが葉書一枚を書くことであったとしても。祈ることだけであったとしても。そして何よりも、私はこの集会でイエス様にお会いしたいと思って参加しました。そしてここに集まった主にある兄弟姉妹の存在を通して、イエス様と出会うことができたことを感謝いたします。 もうひとつは、無教会の集会は高齢化に伴って、先細りして自然消滅してしまうのではないかとの危機感を抱いていましたが、この全国集会に出て、たとえ無教会という形あるものがなくなったとしても、生けるキリストの生命は不滅で永遠なのですから、必ず新しい芽が出て成長していく、そしてそこにまたキリストの命が躍動する無教会が生まれていくのだと確信することができました。そして少数の若い人達の真剣な眼差しと出会って、確かな希望と喜びを感じることができました。 来年、沖縄での開催にあたり那覇聖研として六人で参加して、知恵と力を頂き、祈りを深める機会となったことを感謝いたします。 この集会を開くために、並々ならぬ御愛労を尽くして下さいました東京の兄弟姉妹の皆様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。 (※当日、原稿なしで話したため、内容に少し変更があります。) |