|
12.閉会挨拶
小舘 美彦
今年度のテーマは「希望の根拠」であった。このテーマが決定された約3か月後に東北大地震が起こった。準備委員会にはこの大災害が日本人に真の「希望の根拠」とは何なのかを鋭く問いかけているように感じられた。それでこの大災害をプログラムの巾でできる限り扱うことに決定した。また、今年度は奇しくも内村鑑三生誕150周年である。このことも看過しえないことであり、「今、内村鑑三から何を学ぶべきか」というシンポジウムを開催して、改めて内村の現代的意義を問い直すこととした。 以下、プログラムに沿って会のあらましを述べて閉会の挨拶とさせていただきたい。 主題講演を担当した関根義夫さんは内村鑑三の言葉を聞きながら、「希望の根拠」とは今なお生きて働くイエス・キリストに会うことである、そのためには聖書を通じて発せられるイエス・キリストの声に耳を傾ける習慣が重要であるという話をなさった。この講演は会全体の基調をしっかりと据えた。 発題は「高齢者にとっての希望の根拠」(金井守さん)、「若者にとっての希望根拠」(小舘知子さん)、「バーチャル社会における希望の根拠」(八尾徹さん)の三つであった。それぞれの立場からキリストと出会うとはどういうことなのかを掘り下げた。 東北大震災特別プログラムでは、放射化学の専門家でいらっしゃる吉原賢二さんに講演をしていただいた。吉原さんは水爆実験でビキニ環礁に降った灰を調査する過程で基準値の3倍にあたる放射能を被曝したにもかかわらず、今なお健康であるという体験をもとに、人体が私たちの想像以上に回復力を持っていること、放射能を恐れ過ぎてはいけないことを語った。 残念なことに「音楽の集い」は大島富士子さんが急病でお倒れになったため中止になったが、その代わりに坂内義子さんが「チェルノブイリ原発事故災害地を訪ねて」という題でチェルノブイリの現状と今なお残る課題を紹介してくださった。これだけ悲↓惨な事故を体験していながら、なぜ再び福島で同じような事故の発生を許してしまったのか、人類の知恵というものに根本的疑問を抱かざるを得なくなった。 聖書講義を担当した内坂晃さんは、災害が起こった時に神を弁護してはならない、災害における神の意図を推測する行為は人間の分を超えた行為であり、自己神格化につながると警告なさった。また、災害について私たちになしうることはその悲↓惨な現実から目をそむけないことであり、その現実とイエスの十字架とが同質なものであることに気付くことである、その時に初めて復活という希望が見えてくると話された。 内村鑑三生誕150周年記念シンポジウムでは、荒井克浩さん、吉村孝雄さん、大西宏さんが内村から今何を学ぶべきかを話された。荒井さんは「非戦平和と天皇・天皇制」と題して天皇制は聖書の思想とは相いれないことを語られた。吉村孝雄さんは「独立、自由、無教会精神~その根源としての聖霊、神の言葉の力」という題で、イエス・キリストの十字架による罪の赦しこそは人間の自由と独立の根源であると語られた。大西宏さんは「世俗と信仰一今、「後世への最大遺物」とは?」という題で、今の産業社会で地位やお金や名誉に惑わされずに働いていくには信仰が不可欠であると話された。 証では、基督教独立学園|Ⅱ身で登戸学寮に在寮巾の池田献さんが大学を休学して半年間にわたって被災地へボランティアに行った体験をもとに、被災者を助けることのむずかしさ、被災者と打ち解けることのむずかしさについて語った。また、原発事故で福島県飯館村を追われた村上真平さんも証をしてくださった。村上さんは海外青年協力隊での体験をもとにグローバライゼーションに基づく経済活動が地球を滅ぼすと確信し、それとは真逆の生活(地域社会で衣食住を完結させる生活)を飯館村で実践していらした。ところがその生活が原発事故を原因とする放射能汚染のためにすべて水泡に帰してしまった。このことにどのような意味があるのか、村上さんはいまだに悩んでおられる。 最後に沖縄からいらした石原つや子さんが全体の感想を述べてくださった。石原さんは最初から終わりまで、生きたキリストに出会うことが「希望の根拠」であるという主題講演の主張にぴたりと沿った、それでいて人と人の間に働く神の愛を感じさせてくれる会であった総括なさった。 |